深海における生物多様性を調査する手法の高度化
ポイント
・ 画像観察では捉えられない、海山周辺の深海性魚種を環境DNAによって検出
・ 天然の「大量濾過装置」であるカイメン類に、海水の環境DNAと同等の深海性魚類の検出数を確認
・ 海洋鉱物資源開発に係る環境ベースラインの効率的な調査に貢献
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202405301525-O1-SkqGh242】
概 要
国立研究開発法人 産業技術総合研究所(以下「産総研」という)地質情報研究部門 井口亮 主任研究員、鈴木淳 研究グループ長、環境創生研究部門 鈴村昌弘 研究部門付、塚崎あゆみ 主任研究員、立正大学地球環境科学部 岩崎望 教授、摂南大学農学部 國島大河 講師(元産総研外来研究員)らは共同で、環境DNA(eDNA)手法を用いると、画像観察だけでは見過ごされてきた種も含め、深海性魚種を包括的に捉えられることを明らかにしました。
近年、海山における海洋鉱物の資源開発に注目が集まる中、資源開発による深海生態系への影響を評価するために、海山周辺の生物多様性を把握する重要性が国際的に高まっています。陸域から遠く離れ、深海にある海山は調査機会も限られるため、生物多様性の調査・把握はできる限り効率的かつ網羅的である必要があります。海山における資源開発を想定した環境ベースライン調査に向けて、今回実施した手法の有効活用が期待されます。
この成果は、2024年5月31日(現地時間)にNature Portfolioの論文誌「npj Biodiversity」に掲載されます。
下線部は【用語解説】参照
研究の社会的背景
鉱物資源に乏しい我が国では、海山におけるコバルトリッチクラストなどの海洋鉱物資源開発に対する期待が大きく、またCCS(Carbon dioxide Capture and Storage:二酸化炭素回収・貯留)事業など海洋の産業利用も大きく展開しつつあります。海洋鉱物資源開発に際し、深海性魚類に対する多様性の調査・把握など海山周辺の生態系をモニタリングする手法の確立、環境・生態系データの取得・蓄積の必要性が高まっており、公海においては国際海底機構が定めた環境ガイドラインに準拠した環境ベースライン調査の実施が求められます。
従来、環境・生態系データの取得のために海底に設置したカメラや、遠隔操作探査機(ROV)に搭載されたカメラで画像観察する手法がとられてきました。この手法は、底生生物については有効であるものの、遊泳性の高い深海性魚類の把握には不向きです。一方、環境DNA(eDNA)手法によると採水サンプルだけで生物の種類を特定できますが、プライマーが適合していない種を検出することは困難です。
そこで近年、eDNA手法と画像観察を併用した調査が行われてきています。しかし、深海底における観測例は極めて限られており、特に海山域を対象にした研究はありませんでした。
研究の経緯
産総研は、独立行政法人 エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)の主導のもと、コバルトリッチクラストの開発に向けた環境ベースライン調査に取り組んできました。今回、その一環として深海性魚類の包括的な多様性の調査・把握を実施しました。ここでは、海水とカイメン試料を用いたeDNA手法と、遠隔操作探査機(ROV)および自由落下型深海海底カメラ「江戸っ子1号」を用いた画像観察の両手法を併用しました。本研究は経済産業省の委託事業による成果です。
研究の内容
北西太平洋の海山の一つにおいて(図1上)、eDNA手法と、画像観察で得られた結果を比較しました。海水中のeDNAの分析には大量の海水をフィルターで濾過して、生物の破片や残渣を捕集・濃縮する必要があります。海底の基盤に固着しているカイメン動物は、海山域にも比較的多く見られ、周辺の海水を絶え間なく濾過することで浮遊している有機物を摂餌しており、天然の大量濾過装置としてeDNA分析に利用されています。
これらの異なる手法を併用することで、それぞれの手法では捉えきれなかった深海性魚類の把握が可能になり、解析の結果、合計18科の深海性魚類が検出されました。魚類の科の検出パターンは、eDNA手法と画像観察法の間で大きく異なっていました(図1下)。これは、画像観察では小さいサイズの魚類を捉えるのは困難であること、eDNA手法では使用したプライマーが不適で、効率的に捉えられない魚種が存在することが原因として考えられました。この結果は、eDNA手法と画像観察を併用することで、それぞれの手法では捉えきれなかった深海性魚類の把握が可能になることを示すと共に、海洋におけるeDNA手法の適用促進には、海山周辺で見られる外洋性板鰓類(概要図aなどのサメやエイの仲間)の遺伝子情報の蓄積と、そのeDNAを増幅するようなプライマーの適用が重要であることを示すものです。
個別の手法に基づく研究成果の発表は増えていますが、eDNA手法と画像観察のメリットデメリットを比較し、併用による相乗効果を明確にした研究例はほとんどありません。本研究成果は、今後の深海域における環境モニタリング戦略構築のための重要な知見をもたらします。
【画像:https://kyodonewsprwire.jp/img/202405301525-O2-cg70k65A】
今後の予定
eDNA手法と画像観察法を併用することで、魚類相に関する知見が極めて限られていた海山周辺の深海性魚類の生物多様性についての詳細な情報が取得できました。海山周辺の海水とカイメン試料からのeDNAの解析手法は、これまで画像観察ではわからなかったレベルでの環境ベースライン調査や採掘活動の影響評価を容易にすることに繋がります。また、eDNA手法は魚類だけでなく、目には見えない微生物などの検出にも有効です。
今回実施したeDNA分析手順には、採水量や異なるDNAマーカーの適用など、さらなる改良が必要ですが、eDNA手法と画像観察法を併用する手法は、海山を含む深海域における生物多様性の調査・把握に広く活用されることが期待されます。
論文情報
掲載誌:npj Biodiversity
論文タイトル:Utilizing environmental DNA and imaging to study the deep-sea fish community of Takuyo-Daigo Seamount
著者:Akira Iguchi, Miyuki Nishijima, Eri Ikeuchi, Hiroyuki Yokooka, Hideki Sugishima, Kazumasa Ikeda, Ryuichi Miwa, Yoshiro Sekido, Nozomu Iwasaki, Masahiro Suzumura, Ayumi Tsukasaki, Yuichiro Tanaka, Shogo Kato, Jumpei Minatoya, Nobuyuki Okamoto, Taiga Kunishima, Yuji Ise, Atsushi Suzuki
DOI:10.1038/s44185-024-00042-w
用語解説
環境DNA
生物が排泄物や皮膚細胞などを通じて環境中に放出したDNA産物。
海山
海底地形の一種。深海底にあって、底面が円形または楕円形の高まりのこと。一般に周囲の海底との比高が1,000 m以上のものを指し、1,000 m未満のものは海丘という。現在、太平洋だけで約2,000の海山が発見されている。
環境ベースライン調査
海洋の資源開発における環境への影響の予測やモニタリングのために、周辺海域の環境および生態系に関するデータとその自然変動を把握するための調査。深海底の環境ベースライン調査の概要については、国際海底機構(International Seabed Authority:ISA)がガイドラインを定めている。
コバルトリッチクラスト
北西太平洋域の海底に点在する海山の水深約800~2,400メートルの山頂部から斜面にかけての岩石(基盤岩)を覆う厚さ数ミリメートル~十数センチメートル程度のマンガン酸化物で、コバルト、ニッケル、銅、白金、マンガンなどの金属を含む。
遠隔操作探査機
人間による操作を通じて画像撮影や採水も行える海洋調査のツール。
プライマー
試料からDNAを抽出し、DNA配列の特定の部分を増幅させるポリメラーゼ連鎖反応(PCR)を行う際に用いられる合成DNAで、分析対象となるDNA領域を規定するキーとなる。プライマーの塩基配列の設計が分析の成否を左右する。
自由落下型深海海底カメラ「江戸っ子1号」
水深8,000 mまでの水圧に耐えられ、数カ月に及ぶ長期的な撮影が可能である深海用定点カメラ。船から海面に投入して、深海に自由落下(フリーフォール)で設置する。浮上時は、船からの音波信号で、錘を切り離すことで観測を終了した機体は自らの浮力で海面へ浮上する。ワイヤー類を使用しての設置回収も可能。
外洋性板鰓類(がいようせいばんさんるい)
陸棚よりも沖合の外洋に生息する板鰓類(サメ類およびエイ類)のことを指す。
プレスリリースURL
https://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr2024/pr20240531/pr20240531.html
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