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帝国ホテルとフランク・ロイド・ライト・トラストが「ライト館」開業100周年を祝う(1923-2023)


 
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帝国ホテルとフランク・ロイド・ライト・トラストが
「ライト館」開業100周年を祝う(1923-2023)
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 アメリカ人建築家のフランク・ロイド・ライトが設計をした、帝国ホテル2代目本館「ライト館」は、2023年9月1日に開業100周年を迎えます。この節目を祝すために、帝国ホテル(本社:日本、東京)とフランク・ロイド・ライト・トラスト(本部:米国、シカゴ)は、ライトが設計し、現在はユネスコ世界遺産に登録されている、シカゴのフレデリック・C・ロビー邸の中庭に桜の木を植樹しました。桜の木のもとに設置された銅板には以下のように記されています。
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桜の木のもとに設置された銅板(右:和訳)

 この度のお祝いのために、ラーム・エマニュエル駐日米国大使(元シカゴ市長)から祝辞が寄せられましたので一部を紹介します。
「シカゴの世界的な文化貢献の代表例として建築を挙げることができます。市長時代に私は、フランク・ロイド・ライト・トラストとロビー邸をサポートし、そのロビー邸がシカゴ初のユネスコ世界遺産に登録されました。このことを誇りに思います。ライトの遺産は、彼の建築物の素晴らしさだけでなく、日米両国の関係を超越した独創性を呼び起こす力にもあります。
両国の文化や、国家と国民の架け橋となったフランク・ロイド・ライトの偉大な才能を受け継ぎ、帝国ホテルとフランク・ロイド・ライト・トラストがライト館開業100周年を祝う――実に素晴らしいことです。」

フランク・ロイド・ライト・トラスト セレステ・アダムズ(プレジデント 兼 CEO)
 「ライトの生涯にわたる日本の芸術と文化への憧れは、ここシカゴから始まりました。ロビー邸から1マイル離れたジャクソン・パークで開催された1893年のシカゴ・コロンブス万国博覧会で初めて日本建築に出合ったことがきっかけです。」

 シカゴ・コロンブス万国博覧会は、コロンブスのアメリカ大陸発見400周年を記念した万国博覧会で1893年に開催されました。博覧会のために造られた日本館は、京都府宇治市にある平等院鳳凰堂を模した建物で「鳳凰殿」と名付けられました。そしてライトは1905年、初めての海外旅行先として日本を選び、約3ヶ月間にわたり、多くの日本文化と触れ合いました。横浜港に降り立ち、東京、名古屋、京都、大阪、神戸、岡山、高松、日光などを訪問した記録が残っています。1908年、ライトはロビー邸の設計依頼を受け、1910年に完成しました。それまでのライトのいくつかの建物には日本建築の影響が見受けられますが、ロビー邸には、和の設えが多く取り入れられており、日本人の見学者も多く訪れています。

 帝国ホテルは、海外の賓客を迎えるための「日本の迎賓館」としての役割を担うホテルとして1890年に開業。近代日本資本主義の父とも呼ばれた渋沢栄一が設立発起人総代の一人に名を連ね、開業以来19年間経営を舵取りし、初代会長も務めます。そして渋沢が中心となり、ニューヨークの山中商会で古美術の売買に携わり西洋文化に精通していた林愛作を初代の日本人支配人として1909年に招聘します。
 ホテルは開業以来、改修・改装を施してきましたが、あいにく機能や設備面では近代化する時代の要求に応えることが難しい局面もありました。そこで、林は山中商会時代に知ることとなったライトにアプローチを行い、新本館建設について働きかけを行います。1913年にライトは日本を訪問し林と話し合いを行い、1916年3月17日には林が訪米、両名が覚書を交わし、ライトが新たな設計者に決まります。
 ライト館の設計・建設中、ライトは断続的に日本に滞在し、1923年9月1日に開業しました。開業当日は関東大震災に見舞われるも、建物の被害は軽微でした。ライトはこのホテルを当時の作品の中では最高傑作と位置づけていました。帝国ホテルを手掛けた後、ライトは二度と日本に戻ることはありませんでしたが、1893年にシカゴで日本建築に出合ってから1923年のライト館開業までの30年間という年月が、世代を超えた日米間の強い絆を育みました。

 開業後のライト館は、ダンスパーティー、ホテルウエディング、ディナーショーなどの新しい文化を国内に広め、社交や異文化交流の中心地となりました。この精神に基づき、帝国ホテルとフランク・ロイド・ライト・トラストは、永続的な国際友好の礎として建築の力と文化遺産の価値を讃えます。

株式会社 帝国ホテル 定保 英弥(代表取締役社長)
「帝国ホテルはフランク・ロイド・ライトの建築に敬意を表します。ライトの名声を確立し、彼の建築作品が多く現存するシカゴで、ライト館開業100周年を祝えることを大変嬉しく思います。この桜の木は、これから何年もかけて成長し、日本とアメリカにおけるライトの功績を称えることでしょう。」

【帝国ホテル】
帝国ホテルは1890年、海外からの賓客を迎える「日本の迎賓館」として、東京、日比谷の地に開業しました。明治、大正、昭和、平成、そして令和と受け継がれてきたおもてなしは、多くの日本初のホテルサービスを生み出してきました。帝国ホテルは東京、大阪、上高地でホテルを展開しており、2026年には京都・祇園にも開業する予定です。また、帝国ホテル 東京は2024年から2036年にかけてタワー館と現在の本館の建て替えを予定しています。

【フランク・ロイド・ライト・トラスト】
1974年に設立されたフランク・ロイド・ライト・トラストは、ライトが設計した4つの拠点で活動する独立した非営利団体です。
トラストのビジョンはすべての人々のために芸術の普遍的な価値を守ることです。
トラストの使命はフランク・ロイド・ライトの設計遺産を解釈し、後世に伝えるために彼のオリジナル建築を紹介することで、一般の人々を魅了し、教育し、インスピレーションを与えることです。トラストは、シカゴ地域の4つの史跡で一般向けのツアーやプログラムを運営しています: オークパークにあるライトの自宅兼アトリエ(1889-1909)とユニティ・テンプル(1905-08)、シカゴ大学のハイドパーク地区にあるフレデリック・C・ロビー邸(1908-10)、シカゴ・ループにあるルーカリー・ライトコート(1905-07)です。

 
【資料】
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フレデリック・C・ロビー邸(米国・シカゴ)

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帝国ホテル2代目本館「ライト館」

 

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