ペルー・リマ--(BUSINESS WIRE)--(ビジネスワイヤ) -- ペルーの料理は、その領土で栄えた古代の文化を起源としています。欧州人がアメリカ大陸に到着した後、世界中からの重要な影響を受けてペルーの美食が作り上げられました。近年、ペルーは9年間にわたってワールド・トラベル・アワードの「世界をリードする食の目的地」を受賞し、新しい世界的な食の中心地となっています。
ペルーが今年、10回目の賞の獲得を望む中、ペルー料理のアイデンティティーの形成に寄与したアジアのルーツにスポットを当てましょう。
1854年、ペルーは畑仕事や鉄道建設の労働、島々からのグアノの採取のための労働力を必要としていました。中国人移民は、ペルーに豊かな土地を見出しました。野菜や米が苦もなく育ち、移民が維持する慣習は、現地の味と徐々に融合していきました。中国からの移民たちがペルーの顧客に提供し始めた料理の種類はチーファと呼ばれ、地元の産品が広東料理の伝統的な品々に取り入れられました。
ペルーの料理本に載っている料理の中でも、炒めた牛ヒレ肉(中国の技術と醤油で調理したもの)やチャウファといった炒め物が、非常に熱いコンロを備えた厨房から生まれました。
1899年4月3日、日本船の佐倉丸が、ペルー沿岸の砂糖農園で働く準備ができた790人の農民を乗せてカヤオ港に到着しました。農民の一部はペルーの他の州に移住し、商業や事業に携わりました。
日系とは、地球上のあらゆる場所にいる日本人移民とその子孫を指す言葉です。しかし食の世界では、この言葉はペルーと日本の料理の自然な融合から生まれた料理の種類に密接に関連しています。今日知られているセビーチェは、日本の影響を受けて生の新鮮な魚を使って供されます(数十年前は、伝統的なペルーのセビーチェはレモン果汁で長時間マリネする必要がありました)。日本の影響は、海産物をベースにした料理に必ず見られます。
ペルーの美食には幾層もの歴史と伝統が重なっていますが、アジアの影響は最も新しく、それが与えてきた消すことのできない影響は、今年、10回目の「世界をリードする食の目的地」のタイトルを獲得することにより強固になるであろう遺産を豊かなものにしています。
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