完成した「北里柴三郎」顕彰看板(1)
完成した「北里柴三郎」顕彰看板(2)
この「通学橋」は、当時伊東町の小学校に通う子ども達が安全に通学できるようにと北里柴三郎が私財を投じて建造し、町に寄付したもので、まさに「北里柴三郎ゆかりの地」になっています。
画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/300443/LL_img_300443_1.jpg
完成した「北里柴三郎」顕彰看板(1)
新千円札の肖像に選ばれた偉人「北里柴三郎」は、伊東市の温泉街を流れる松川河畔に別荘を構え、温泉療法による予防医学や学校教育、伊東線開通に代表される交通インフラの発展など、伊東市に多大なる恩恵を施してくださいました。
【北里柴三郎】
北里柴三郎は、嘉永6(1853)年、肥後国阿蘇郡北里村(現在の熊本県阿蘇郡小国町)に生まれ、東京大学医学部を卒業後、内務省衛生局勤務、ドイツのロベルト・コッホのもとで破傷風菌の血清療法を確立し、帰国後の明治27(1894)年にはペスト菌を発見しました。