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明治学院が小冊子『心清き者は福(さいわい)なり-明治学院と井深梶之助-』を発行 会津藩で戊辰戦争を生き延び、日本を代表するキリスト者となった井深梶之助を紹介



『心清き者は福(さいわい)なり -明治学院と井深梶之助-』

2021年10月、学校法人明治学院は、明治学院第二代総理(学院長)であった井深梶之助(1854-1940)の功績をまとめた小冊子『心清き者は福(さいわい)なり -明治学院と井深梶之助-』を発行しました。明治学院関係者に配布するとともに、大学WebサイトにもPDFを掲載しています。

画像1: https://www.atpress.ne.jp/releases/286191/LL_img_286191_1.jpg
『心清き者は福(さいわい)なり -明治学院と井深梶之助-』

『心清き者は福(さいわい)なり -明治学院と井深梶之助-』
https://www.meijigakuin.ac.jp/about/history/pdf/Kajinosuke.Ibuka_web.pdf

日本を代表するキリスト者として生きた井深梶之助の生涯を、島崎藤村などの卒業生の手記、亡き妻を思って詠んだ和歌、2020年度に明治学院に寄贈された貴重な関係資料や豊富な写真とともに紹介しています。


◆井深梶之助とは…
1854年、幕末の会津に生まれた井深梶之助は、戊辰戦争で壮絶な籠城戦となった若松城内で、藩主松平容保の小姓を務めました。その際、砲術を指南する山本八重(後の新島襄の妻)にも出会っています。やがて、師と仰ぐアメリカ人宣教師、ブラウンに学び、その後の生涯をキリスト者として歩みます。神学部教授として初期の明治学院を支え、1891年、初代明治学院総理であったヘボンの信頼を受けて37歳で二代目総理に就任すると、外交に優れた円満な人柄と堪能な英語力で30年にわたり明治学院の礎を築きました。宗教教育を禁じた「文部省訓令第12号」発令時には撤回を求める運動を展開し、キリスト教に基づく人格教育を推し進める明治学院の心を守り抜いたのも井深梶之助です。
1910年には基督教教育同盟会(現キリスト教学校教育同盟)の初代会長に就任し、キリスト教教育に貢献しました。


『心清き者は福(さいわい)なり -明治学院と井深梶之助-』
発行 :学校法人 明治学院
発行月:2021年10月
16ページ A5版
目次 :p.2 井深梶之助 記念碑(白金台・瑞聖寺)
p.3 激動の時代に生きた井深梶之助先生
p.4-9 井深梶之助の生涯
p.10-11 井深梶之助の思い出
p.12-13 井深梶之助 妻を思ひて和歌を詠む
p.14-15 井深家関係資料
p.16 関連略年表
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