
大阪・梅田と兵庫県の尼崎は、阪神特急やJRの快速、新快速を利用すると10分もかからない距離にある。
毎日新聞社が発行していた写真誌・毎日グラフの1957(昭和32)年9月1日号で、当時の尼崎の様子が紹介された。記事の導入部には「ここは労働大衆が支えている庶民の町だ。“見栄(みえ)や体裁”など構いはしない。第一“アマガサキ”と呼ぶ人はまれだ。もっぱら“アマ”で通っている」と書かれていた。
国内屈指の工業都市ゆえに、ばい煙を吐き出す煙突の写真とともに「ケムにまかれる尼崎」の見出しもついた。地下水くみ上げによる地盤沈下や、人口急増による小中学校の不足といった問題も取り上げられた。
一方で、生活費は安く済んだようだ。日雇いの労働者の「(衣食住)どれを取ったかて、安う暮らせますがな」との話も掲載されている。写真の説明文によれば、食料品や日用雑貨は特に安く、お隣の大阪市や兵庫県西宮市だけでなく、芦屋市からも買い物客が訪れたようだ。
この商店街は今もほぼ同じたたずまいを残している。撮影した場所付近ではシャッターを閉めた店が目立つが、北方向に歩けば、庶民的でにぎやかな商店街が現れる。【加古信志】
