
兵庫県宝塚市は8日、81年前に原爆投下直後の広島に入って被害調査を行った大阪帝国大(現・大阪大)の浅田常三郎教授(1900~84年)の手書きメモなど、広島原爆の調査資料17点が市立教育総合センター(同市小浜)の書庫で見つかったと発表した。浅田教授の手持ち資料とみられ、広島平和記念資料館に寄贈する。
市によると、浅田氏は放射線物理学の専門家で、原爆投下4日後の1945年8月10日に現地入りし、自作の測定器で残留放射線を調べるなど、投下されたのが原子爆弾である材料を集めた。
見つかったメモは「特殊爆弾の調査依頼への回答作成のため」として鉛筆で用紙6枚に書かれていた。「8月6日朝、広島市に投下された特殊爆弾に関し、下記の点を調査すべきを(海軍の)大阪警備府より8月9日委嘱された」と記し、「被害程度、原子爆弾なりや、対策」の3点を挙げ、調査のポイントについて化学式を交えまとめていた。他に草稿をまとめるために放射線量などを計算、分析した手書きメモ11枚があった。
浅田氏が持ち帰ったとみられる被爆の痕跡が残る板塀の一部も見つかり、「広島女子高等学校にて取得」と書かれていた。大阪帝国大の便せんに書かれた46年9月16日付の「原子爆弾災害調査研究報告」には、浅田のサインと「未定稿」の印が押してあった。
資料は6月に書庫を整理した際にまとめて置いてあるのが見つかった。広島平和記念資料館に寄贈の打診をしたところ、「新資料が含まれている可能性があり、分析したい」との回答があった。
市によると、浅田氏と宝塚の接点は見つかっておらず、担当者は「なぜ宝塚にあったのかわからない。情報を寄せてほしい」と呼びかけている。【山本真也】
