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「はるかのひまわり」能登へ 阪神で妹失った女性、希望の種まき


 阪神大震災(1995年1月)で妹の加藤はるかさん(当時11歳)を亡くした神戸市西区の菊地いつかさん(46)が2日、石川県七尾市の認定こども園で、妹ゆかりの「はるかのひまわり」の種をまいた。集まった被災者には、「太陽に向かって咲くヒマワリを眺めれば、青空ってこんなにきれいだったんだな、と思える日がきっと来ます」と、自身の経験を基に語りかけた。

 31年前のあの日、はるかさんは全壊した神戸市東灘区の自宅の下敷きになって亡くなった。生前、隣の家のオウムに与えていたヒマワリの種が発芽し、その年の夏に花を咲かせた。その種はいつかさんをはじめ、はるかさんを知る人の手で花を咲かせ続け、今では全国の子どもが植える、心の復興のシンボルとなっている。

 いつかさんが能登半島地震の被災地を訪れるのは初めて。仮設住宅集会所では、被災したお年寄りら50人あまりに、阪神大震災から2~3年後の自身の体験を語った。残された家族3人の生活は一変。社交的だった母は毎日泣き暮らすようになり、いつかさんは「生きていていいのかなと、手首を傷つける行為を繰り返すようになりました」。

 数年後、震災で子供を無くした遺族らと出会った。交流する中で、「おじちゃんや、おばちゃんたちが、じっと私の話を聴いてくれた。悲しいのは私だけじゃない、生きていてもいいんだ、と初めて思えた」と話した。

 イベントを企画した富山県小矢部市の一般社団法人・富山SAVEふくしまチルドレン理事長、川嶋茂雄さん(65)は「絶望と回復のはざまにいる能登のみなさんに聴いてほしかった」と開催の意図を説明。「能登半島一円に、希望の花を咲かせましょう」と呼びかけ、持参した約1万5000粒の「はるかのひまわり」を参加者らに手渡した。

  ◇◆

 この日の講演には、いつかさんの長女良さん(9)、夫の修さん(57)も同行した。25年前から交流を続ける筆者には、「あの頃(25年前)は、とんがってたけど、お互いに丸くなったね」と笑った。成長した良さんには、妹の面影を重ねることもあるといい、「母は、自分の命よりも大切な、子どもの命を守れなかったことを悔やんでいたんやなと、理解できるようになった」と話す。

 人見知りの良さんは、「人前で話すのは10年ぶり」といういつかさんの姿を目に焼き付けていた。【中尾卓英】

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