
米国のブッシュ(子)政権で副大統領を務めたディック・チェイニー氏が、肺炎と心血管系の合併症のため死去した。84歳だった。家族が4日に発表した。理想とする国際秩序形成のために軍事力行使も辞さない「新保守主義派(ネオコン)」の代表格であり、2003年にイラク戦争を主唱するなど「影の大統領」と呼ばれる実力者だった。
1941年、中西部ネブラスカ州生まれ。ワイオミング大学などで政治学を学んだ後、連邦議会スタッフを振り出しに首都ワシントンでキャリアを積み、共和党のフォード政権で大統領首席補佐官に就いた。
79年から10年間は連邦下院議員(西部ワイオミング州選出)を務めた。89年にブッシュ(父)政権の国防長官に就任し、クウェートに侵攻したイラクのフセイン政権(当時)を多国籍軍が撤退させた湾岸戦争(91年)を指揮した。国防長官退任後、南部テキサス州の大手石油掘削会社「ハリバートン」の最高経営責任者(CEO)に転身した。
00年大統領選で共和党大統領候補のブッシュ・テキサス州知事の要請で、副大統領候補となった。中央政界や外交の経験が乏しいブッシュ氏の指南役を務め、かつての上司であるラムズフェルド国防長官とともに、政権内でネオコンの影響力を強めた。
01年に国際テロ組織アルカイダによる米同時多発テロが起きると、アルカイダの本拠地があったアフガニスタンのイスラム主義組織タリバン政権を打倒。03年にはフセイン政権の「大量破壊兵器保有」を根拠にイラクへの侵攻を訴え、長年の「宿敵」を打倒した。
しかし、イラクが当時、大量破壊兵器を保有していた証拠は見つからず、同盟国であるドイツやフランスの反対を押し切って開戦に踏み切ったネオコン主導の「単独行動主義」が批判された。古巣の石油会社がイラク復興事業で利益を上げ、「石油のために戦争をした」との非難も受けた。アフガンやイラクでは大規模戦闘終了後に社会を安定させられず、「対テロ戦争」は長期化した。米国が疲弊する一因を作り、政権末期にはチェイニー氏の支持率は低下した。
副大統領退任後も保守派の「ご意見番」として活動した。18年には副大統領時代のチェイニー氏の権勢ぶりを描いた映画「バイス」が話題になった。
長女リズ氏も連邦下院議員となり、21年に起きた連邦議会襲撃事件以降は、共和党内でトランプ前大統領を批判する勢力の旗頭となった。チェイニー氏も事件から1年となる22年1月、リズ氏と共に連邦議会議事堂を訪れ、トランプ派の影響力が強まる共和党への失望感を表していた。24年の大統領選では民主党のカマラ・ハリス副大統領(当時)への支持を表明していた。
