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万博のために大阪へ「移住」、連日通う 40年思い続けた味と再会


 2500万人の来場者を受け入れた大阪・関西万博は13日、熱気に包まれたままフィナーレを迎える。184日の会期中、1周約2キロの大屋根「リング」の内外に165の国・地域・国際機関がそろい、草の根の交流を深めた。地球的課題が深刻さを増し、世界は分断を深める。万博で生まれた「連帯の輪」をどう広げていくか。まかれた種は未来社会に引き継がれることになる。

つくば科学博で出会ったチョコレート

 あれから40年がたっても青春時代の感動が忘れられなくて、茨城県行方(なめがた)市の主婦、広内富士子さん(57)は20年余り勤めていた会社を思い切って辞めた。今春、一時的に大阪市内に「移住」し、大阪・関西万博に連日通った。

 多くの万博に足を運んだが、醍醐味(だいごみ)は一期一会という。だが、その一つの縁が今回、思いがけない再会につながった。

 国際博覧会に初めて訪れたのは1985年、高校2年生の時に茨城県で開かれた国際科学技術博覧会(つくば科学博)だった。

 サントリー館の飲食店でレジ打ちなどのアルバイトをしながら、海外パビリオンで働く人たちと交流した。

 春から夏にかけて催されたつくば科学博は、企業パビリオンはどこも混み合っていた。アルバイトの合間にすいていた所で涼もうと思って立ち寄ったのが、オーストラリアパビリオンだった。

 そこで、コアラの形をしたチョコレートをプレゼントされた。「中にキャラメルが練り込まれていたような甘さだった」

 これまで食べたことがない食感が忘れられず、何度も出向いた。

 ただ、どこのメーカーが作ったものか分からなかった。大人になってネットで探したが、手がかりを見つけられず心残りになっていた。

 つくば科学博では、会場で出会う目の色も肌の色も違う外国人が「ハロー」と話しかけてくれたり、ピンバッジを交換してくれたりしたのは刺激的だった。

 当時は、街中で外国人を見かけることはほとんどなく、ましてや触れ合うことはなかった。

 「私にとっての最初の一期一会だった」

 万博のとりこになり、2005年の愛知万博(愛・地球博)、10年の中国・上海万博、12年の韓国・麗水(ヨス)万博などに足を運んだ。

 15年のイタリア・ミラノ万博で知り合った観光客に、2年後のカザフスタン・アスタナ万博で出会うなどうれしい再会もあった。

 万博の度に、機会があれば立ち寄ったのがオーストラリアパビリオン。あの時のチョコレートが忘れられなかった。だが、つくば科学博で働いたスタッフとは会えなかった。

 そんな中で、大阪・関西万博を迎えた。

 夏にオーストラリアパビリオンに向かい、チョコレートの思い出を日本人スタッフに語った。

 すると、思いがけない返答があった。「つくば科学博のスタッフだった女性がここにいますよ」

 この日は不在で会えなかったが、後日、パビリオンでその女性、ジュリー・ターンブルさんと会った。日本語に堪能で、2人の会話は笑いに包まれた。

 「私もそのチョコを当時配っていたことを覚えています。私は食べ過ぎた」

 ターンブルさんは数日後、あの時と同じ味のチョコレートを贈ってくれた。広内さんは今も、そのひとかけらを冷凍庫で大切に保管する。

 13日の最終日もオーストラリアパビリオンを訪れ、ターンブルさんと交流した。「せっかくつながった縁。今度はジュリーさんの故郷のオーストラリアに行ってみたい」と再会を誓った。【砂押健太】

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