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市内一安全と言われた学校に「落とされた」爆弾 今も拭えぬ恐怖


 「ドドン、ドドーン、ガチャン、ガチャン」。雷が落ちたかのような衝撃だった。1945年6月26日の午前。国民学校6年生だった近藤良子さん(91)=滋賀県彦根市=は、自宅の窓ガラスが割れるのを見ながら、布団で体を覆って震えていた。自宅と学校の間が空襲で爆撃された。80年たっても鮮明な恐怖。校長先生の発した言葉も忘れられない。【菊池真由】

上空にB29編隊

 あの日の朝、近藤さんはいつも通り、3年生の弟と城南国民学校(現彦根市立城南小)に登校した。午前10時ごろ、警戒警報が鳴った。「避難だ。すぐ家に帰りなさい」。校長先生から全校に指示があった。

 学校は、田んぼの真ん中にある木造1階建ての古びた小さな校舎。校内に掘った防空壕(ごう)には、200人の子供たち全員が入るような広さはなかった。駆け足で10分ほどの自宅へ急ぎながら、近藤さんは「市内で一番安全な学校といわれていたのに、なんでこんなところに爆弾が落ちるんだ、信じられない」と思った。

 上空では米爆撃機B29が編隊を組んで飛んでいた。快晴の中の太い飛行機雲はきれいだと思った。だが、耳に届くのは「ブウォーン、ブウォーン、ブウォーン」という不気味な音。編隊はゆっくりと近づいてくる。

 「急いで帰らんと!」。弟と自宅に駆け込んだ。すぐに母から布団を渡された。そのまま土間で、体全体を布団で覆った。

「南無阿弥陀仏」

 その瞬間、耳をつんざく衝撃音が聞こえた。「怖い! 怖いー!」。近藤さんは悲鳴を上げていた。母は「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と叫んでいた。

 大きな爆発音、小さな爆発音――。爆弾が落ちる音が何度も聞こえた。ガラスが粉々に割れていく。約30分間、おびえ続けた。運良くけがをするような爆撃に巻き込まれることはなかった。

 空襲が終わると、子供たちは校庭に集合した。学校に向かう途中、変わり果てた周りの様子に震え上がった。見たこともない大きな穴がいくつも空いていた。後で聞いた話では大きな穴は縦と横、深さが8メートルもあったという。「家の近くに爆弾が落ちたんだ」。級友らと話していると校長先生が叫んだ。

「爆弾が落ちたのではない。敵機が落としたんや!」

 記憶から消えることのないこの言葉。「あれは人災。いつまで続くのか分からない。どんなことよりも怖い」と近藤さん。終わりの見えない爆撃は、近藤さんの人生に薄まらない恐怖を刻んだ。

面影のない校舎

 学校の先生は校内の防空壕(ごう)に避難し、子供たちは自宅に戻ったことで全員が無事だった。しかし、校舎は「半潰れで」(近藤さん)、面影はなくなっていた。県の資料によると「校舎は爆撃で屋根瓦が吹き飛び、多くの爆弾破片が突き刺さった」とある。

 伝え聞いた町の悲惨な様子を語る言葉が近藤さんの耳の奥に張り付いている。「木に引っかかっているのは人の頭だった」。医者から聞いた話だ。警防団員の父はこう話していた。「壁にこびりついてピクピクと動いていた物に目をこらすと肉片だった」。同じ学校ではない知り合いの子供は、田んぼに隠れたが爆撃を受けて死んでしまったという。

 この空襲によって周辺で10人が犠牲になった。何もかも変わってしまい、悲しみに暮れる中、自分の身を守ることで精いっぱいだった。「はよ、戦争が終わればいいのに」。当時の近藤さんはそう願うだけだった。

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