
東京都八王子市の被爆者らが運営する「八王子平和・原爆資料館」(同市元本郷町)をペイマン・セアダット駐日イラン大使が訪れ、被爆者らと面談した。核施設を巡り、イランとイスラエル、米国の緊張が高まる中、展示を見たセアダット大使は何を感じたのか。【野倉恵】
同館は被爆関連資料を保管・展示しており、被爆地以外ではめずらしい資料館だ。有志のボランティアと市民らの寄付で運営している。同館の運営メンバーと面識があり、「原爆と俳句」(大月書店)の著作があり被爆2世でもある永田浩三・武蔵大名誉教授が、大使側の訪問希望を同館につないで訪問したという。大使は2日に訪れた。6月のイスラエルと米軍による核施設攻撃後、外交解決が模索されていた時期のことだった。
面談したのは市内在住の被爆者の上田紘治さん(83)と同館に多くの資料を寄贈した元新聞記者・永町敏昭さん(故人)の長男で被爆二世の永町謙さん(63)ら。上田さんは、疎開先から広島市の爆心地近くの自宅に母らと行き入市被爆した。上田さんは「母や他の被爆者から(強烈な爆風圧で)眼球が飛び出て、手で受けながら歩く人がいたと聞いた」と語った。さらに「川へ逃げる途中、足元にすがる人の手をふりほどいて生き延びた人も多く、つらく感じ続ける被爆者がいる」と証言した。
1945年8月6日、爆心地近くの学徒動員先で被爆し翌7日亡くなった旧県立広島二中1年の豊島長生(たけお)さんが着ていた学生服上下と血の跡とみられるしみのあるシャツも紹介された。おいの謙さんが、豊島さんの妹である母(故人)の生前の話を踏まえ「全身大やけどで顔がはれ上がり、目も見えなくなっていた長生さんを、爆心地約7キロの家を出た祖母が奇跡的に連れ帰った。皮膚とくっついた服をハサミで切り脱がせた」「長生さんは祖母の腕の中で君が代を歌い終わると間もなく亡くなった。祖母は服を大事に保管し、原爆の悲惨さを伝えようとした」と語った。
セアダット氏は取材に「核兵器の惨劇を深く知るためずっと前から被爆者の方に会う必要を感じていた。この制服を見たことは完全に新たな体験。どの国でも東京に着任する大使はこの資料館に来て被爆者の方に会い、制服をじかに見るべきだ」と述べた。
