
「ガチーン」。1975年8月24日朝。函館市尾札部町(旧南茅部(かやべ)町尾札部)で、昨年4月に91歳で亡くなった小板アエさんが自宅裏の畑でジャガイモ掘りをしていると、クワの刃先が何か硬いものに当たった。
出土したのは縄文時代後期後半(約3500年前)につくられた「中空土偶」。今年で発見から50年を迎える国宝だ。南茅部の「茅」と中空土偶の「空」を組み合わせた「カックウ」の愛称で親しまれ、狩猟や採集など自然の恵みと共生し、約1万年にわたり続いた縄文人の営みを今に伝えている。
かつて南茅部町教育委員会に勤務し、小板さんと親交の深かった道縄文世界遺産推進室特別研究員の阿部千春さん(65)は「遺跡の発掘は不思議。小板さんがいなかったら発見もなかったし、国宝にもなっていない。地域の恩人。カックウは縄文をPRする最前線に立ってくれている」と話す。
カックウの赤銅色の身体は高さ41・5センチ、横20・1センチ、重さ1745グラム。内部は空洞で、国内で確認されている約2万点の土偶の中で最大級の大きさを誇る。
6頭身のプロポーションで、鼻が高く、つり上がった一本眉毛が特徴だ。正面から見ると、顔はやや右上を向き、右足がわずかに前に出ており、歩くポーズのようにもみえる。
「カックウ」の名前で診療カード
79年に重要文化財、2007年に道内初の国宝に指定されたカックウは、翌08年に内部の劣化状況を調べるため、市立函館病院でCTスキャンを受けた。
当初は、人間を検査する目的で購入した医療機器を人間以外で使用するわけにはいかないと断られた。だが、阿部さんは「土偶にはカックウという名前がある」と交渉。「カックウ」の名前で診療カードも作られた。
調査の結果、土偶の肉厚は5~7ミリほどで、最も薄い部分は2ミリだったことが判明。あらかじめ壊すことを前提に、割れる部分は薄く加工されていたことが明らかになった。
阿部さんは「人の形をしたものを壊すことは死を意味し、その『死』が次の『生』の始まりになるという考えがあったのでは――」と、縄文時代に思いをはせる。カックウは造形の素晴らしさ以外に縄文人の精神性を伝えているのかもしれない。
現在、カックウを常設展示する函館市縄文文化交流センターは11年に完成。初代館長は阿部さんが務めた。「カックウの家を作ろう」という考えから、劣化を防ぐために照度を落とし、月明かりを思わせる優しい光に包まれ、来館者を迎えている。
センターに隣接する「垣ノ島」と「大船」の両遺跡は、21年7月、ユネスコの世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」を構成する17遺跡のうちの2遺跡となった。
函館市教委によると世界文化遺産登録後、センターや両遺跡では、21年度8万2391人▽22年度10万9819人▽23年度8万8751人▽24年度8万150人が来場。阿部さんは「カックウは縄文を知るきっかけ。縄文時代の約1万年の間に人間がいかに自然環境の変化に対応しながら生きてきたのか。今の私たちも自然に支えられて生きているということの大切さを伝えていきたい」と話す。
函館市縄文文化交流センターは17日、中空土偶の発見50年を記念し、「食べられる土偶づくり~クッキーでカックウづくり!」を市南茅部総合センターで開いた。小学生らが参加し、カックウの形に生地を成形。ココアパウダーを混ぜることでカックウの色味も再現した。担当した同センターの平野千枝学芸員は「カックウに親しんでもらい、少しでも縄文に興味を持ってほしい」と話す。
同センターはカックウが発見された8月24日に向け、企画展を予定。函館市教委は発見50年を記念したクリアファイル500部の製作を進めている。【三沢邦彦】