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「核と人間は共存できない」 被団協・浜中紀子さん、埼玉で講演


81歳の浜中紀子さんが、熊谷市で核廃絶を訴える講演を行いました。1945年8月9日に長崎で被爆した浜中さんは、「核と人間は共存できない」と話し、核問題を個人の課題として考えてほしいと訴えました。彼女はノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会の事務局次長を務め、長年にわたり被爆者支援活動に携わっています。さらに、被爆者への支援が国家補償ではなく社会保障に留まっている矛盾を指摘し、「受忍論」に反対する姿勢を示しました。政府との対話においては、協力的な反応を期待しつつも、行動の遅さに失望感を述べています。

 ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の事務局次長を務める埼玉県行田市在住の浜中紀子(としこ)さん(81)の講演会が22日、熊谷市内で開かれた。浜中さんは「核と人間は共存できない。(核の問題を)一人一人が自分ごととして考えてほしい」と核廃絶を訴えた。

 熊谷空襲を忘れない市民の会(米田主美代表)が主催した。

 浜中さんは1944年1月、現在の韓国・大邱市の生まれ。ほどなく測候所技師だった父の実家のある長崎市に疎開し、翌45年8月9日に母、祖母、姉らとともに被爆した。爆心地から3キロほど離れた場所だった。「1歳の時で、当時の記憶はない」。それでも母、祖母の苦しみは分かっていたという。

 半世紀ほど前、被爆者として、その援護活動に奔走していた医師の肥田舜太郎氏(故人)と出会い、県被爆者協議会(しらさぎ会)の活動に。2016年に被団協事務局次長に就任し、昨年12月には、被団協代表委員の田中熙巳(てるみ)さんらとともに、ノルウェーのオスロであったノーベル賞授賞式に赴いた。

 この日の講演では反核への思いについて、「核と人間が共存できないことは身をもって分かっている。(被団協の)私たちはかろうじて生き延びたが、『生かされている』という気持ちで活動しています」と語った。

 田中さんが授賞スピーチで「原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていない」と繰り返したことについて、「被爆者への支援は社会保障制度内のもの。国家補償とは違う。空襲、原爆で亡くなった人への補償は顧みられていない」と述べた。その上で、戦争被害は等しく国民が耐えるべきだとする「受忍論」に触れ、「元軍人には軍人恩給があります。自治体の戦没者慰霊式典は公費ですが、私たち被爆者は自前でやっているんです」とその矛盾を指摘した。

 浜中さんは石破茂首相らとも面会、核兵器禁止条約の締約国会議へのオブザーバー参加などを要請してきたが、政府の反応は鈍い。「お会いした時は協力的なことをおっしゃるんですが……。その都度がっかりすることが多い」と失望感を示した。【隈元浩彦】

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