
今夏で原爆投下から80年になるのを前に、JR広島駅が装いを一新した。その歩みには、戦前の軍都から平和都市への歴史が刻まれている。
鉄道が広島まで開通したのは1894年。この年に始まった日清戦争で兵站(へいたん)基地となった広島には大本営が置かれ、その後は軍都「廣島」として発展した。初代の駅舎は木造平屋建て。1922年に国内初の鉄筋コンクリート駅舎(2階建て)に建て替えられた。
45年8月6日、米軍による原爆投下で爆心地から約1・9キロの駅舎は大きく破損し全焼。乗客や駅員ら多数が死傷した。被爆3日後に広島入りした毎日新聞大阪本社写真部の国平幸男記者(故人)は95年夏に執筆した回想記で「駅前に立つと、この世とは思われぬ寒々とした風景が目に飛び込んできた」と記している。
敗戦直後には駅前に闇市が立つようになり、市民の復興を支えた。65年には新しい7階建て駅舎が完成。75年には岡山―博多間の山陽新幹線開通に伴い、新幹線駅も新造された。
広島駅周辺は復興初期に建てられた低層ビルや木造建築が長く残っていた。再開発で高層のテナントビルやマンションなどに建て替わり、新駅舎の完成で大きく様相を変える。【宇城昇】
JR西日本管内では3番目の規模
広島市の陸の玄関口・JR広島駅に24日、商業施設やホテル、映画館などが入る新たな駅ビルが開業した。地上20階、地下1階建て延べ約11万1000平方メートル。JR西日本管内の駅ビルでは大阪、京都に次ぐ3番目の規模となる。
24日午前、開業を記念して関係者によるテープカットが行われた。地下1階~地上9階の商業施設「minamoa(ミナモア)」を運営する中国SC開発(広島市)の竹中靖社長は取材に「広島駅の歴史を引き継ぎ、さらに新たな広島を作っていけるよう進化を続けていきたい」と話した。
ミナモアは、店舗部分の面積が約2万5000平方メートルで約220のテナントが並ぶ。従業員の新規採用は3000人規模だ。西側の7階より上は「ホテルグランヴィア広島サウスゲート」(総客室数380)が入る。
夏ごろには広島電鉄の路面電車が2階に乗り入れる。【安徳祐】