
熊本市交通局が市内で運行する路面電車の熊本市電で2024年、脱線や信号無視などの運行トラブルが16件相次いだ。「自分がいつ事故を起こすかと思いながら運転している」。トラブル続発を受けて市交通局が設置した検証委員会が全職員を対象にアンケートを実施したところ、そんな回答まで寄せられた。24年はくしくも開業から100年。異常事態の背景には、長年の経営難で人やモノへの投資が抑えられ、勤務環境の悪化や設備の劣化が進んできた実態が浮かぶ。
「ガタガタガタガタッ」。大みそかの24年12月31日午後3時過ぎ、熊本市中央区の市役所近くで2両編成の市電が異音とともに停車した。7月に続き、この年2回目の脱線事故。乗客約30人にけがはなかったが、現場周辺の区間は翌月2日まで運休となった。原因はレールの幅が基準を超えて広がっていたことだった。
その後、レール幅の異常は近くの別の地点でも判明し、同じ区間が1月15、16日に運休した。塾への行き帰りに市電を利用しているという私立高1年の女子生徒(16)は「事故が心配。遅延も運休も困る」とこぼす。25年になっても安定しない運行状況に、利用者の不安や不満は膨らむ。
24年の運行トラブル16件の内訳は、脱線2件▽走行中や発車直後などにドアが開く事案5件▽信号無視7件▽その他2件――。いずれもけが人はなかった。このうち乗客を乗せて走行中にドアが開いた3件は、国の運輸安全委員会が重大インシデントに認定した。
原因をみると、ヒューマンエラーの多さが目立ち、16件のうち少なくとも10件に信号の見落としやドアの閉め忘れなど運転士のミスが絡む。その他の要因はレールの異常や装置の誤作動などだった。
背景にあるのは、厳しい経営環境だ。
熊本市電の年間乗客数は1960年代に4000万人超となったが、車社会の進展で70年代には1000万人程度に激減。経営は悪化の一途をたどり、一時は78年度末での路線全廃が計画された。市民の要望で存続されたが、近年も毎年数億円の営業赤字を市の一般会計などからの補助で埋める状況が続いてきた。
市交通局では人件費削減のため、04年度から運転士の正規職員の採用を停止した。運転士の数は10年度当時の100人から24年度当初は78人にまで減り、大半が単年度契約の非正規職員になった。人員不足の影響もあり、24年3月の乗務員(運転士と車掌)の残業時間は平均で月約30時間となり、23年4月の約2倍に増えた。勤務と勤務の間に十分な休息時間が確保できない場合もあったとされる。
設備保守にあたる技工職についても06年度から正規職員を採用せず、退職による人員減を市役所からの数年単位の職員派遣で埋めるようになった。技術の継承が課題となっている。
「睡眠時間が少なく、集中力が維持できないことがある」「事務職も人がまったく足りていない」「給料が安く、休日出勤しないと生活できない」
有識者でつくる検証委員会が全職員(教習生など除く約170人)を対象に実施したアンケートでは、勤務状況や市交通局の内情、待遇などに関する切実な訴えが多く寄せられた。
「運転士が出した意見が上まで届かない」「課ごとの意見が違いすぎる」などと、コミュニケーション不全や部署間の壁を指摘する声のほか、「運転士へのしめつけが増える一方で、指示する側がルール違反する」といった不満もあった。
検証委の会長を務めた吉田道雄・熊本大名誉教授(社会心理学)は、事故防止の一番の基本は「コミュニケーション」とし、「そのための信頼関係がかなり厳しい状況だ」と指摘する。
設備も老朽化している。車両やレールは寿命を延ばし、更新を最小限にとどめてきた。車両は24年3月時点で、全45編成のうち、使用年数が60年以上のものが51%に上る。レールも市交通局が耐用年数の目安とする30年を超えたものが44%。不具合が出やすい状況になっており、24年の大みそかの脱線事故も敷設から40年以上のレールで起きた。市交通局幹部は「健全化を優先する中で、予算が少なかったのは事実だ」と認める。
検証委は1月、職員間の信頼関係の醸成や仕事環境の整備など7項目を提言した最終報告書を市に提出。市交通局は、部門間の連携や安全対策を担う専門チームを新たに設置し、運転士確保のための採用も強化しているほか、今春には給与・手当の処遇改善に踏み切る。老朽化した車両や設備は計画的に更新していく。
市は、4月に予定していた「上下分離方式」への経営形態の移行や、31年度の開通を目指してきた延伸計画をいずれも延期する方針だ。大西一史市長は「市民は安全に安定的に運行できる体制を求めている。その点をまず揺るぎなくしていくことが絶対に必要だ。安全対策にリソースを集中し、信頼回復に全力を尽くす」と語る。【中村敦茂】
