
川崎市の多摩川河川敷で2015年2月、中学1年だった上村(うえむら)遼太さん(当時13歳)が地元の知人少年らに殺害されてから、20日で10年となる。「気持ちの整理はまだついていない。事件のことは心の深い場所にしまい込んである」。上村さんの母親(52)が1月下旬、毎日新聞の取材に初めて応じ、いまだ癒えることのない心の傷を吐露した。
自宅には上村さんの骨つぼと遺影を置いている。「遼太」。ご飯を供える際に、そう心の中で呼びかけながらポンポンと骨つぼに触れるのが日課だ。ただ、それ以外はあえて遺影を見ないようにしている。
「事件資料で見た遼太の姿がよみがえり、頭がいっぱいになる。日常生活が成り立たなくなる」。事件現場の河川敷は、今も訪れることができない。
10年前のあの夜、上村さんは冷たい川を裸で泳がされ、首をカッターナイフで何度も切りつけられた。勤務先に警察官が突然現れ、母親は事件を知った。
「私の宝物だった」。何かにつけて母親に甘えてくっついてきたという上村さん。運動神経が良く、バスケットボールに打ち込んでいた。整形外科への通院をきっかけに「将来は医者になりたい」と夢を語った。
事件前、介護福祉士の資格取得を目指す母親を、上村さんは「お母さんが勉強している」と笑って応援してくれた。事件後に迎えた試験日は上村さんの葬式の予定日と重なった。「受験は遼太との約束のような気がする」。母親は葬式の日をずらして試験に臨んだ。頭の中は混乱したままだったが、合格した。
少年たちによる凄惨(せいさん)な事件に、報道は過熱した。インターネット上に家族構成などがさらされ、根拠のないうわさも流れた。転居を余儀なくされるなど、事件は上村さんの家族に暗い影を落とした。
事件当時17~18歳だった加害少年3人はいずれも不定期の懲役刑が確定している。1人はすでに出所し、賠償金として月5000円を22年から振り込んできたが、24年4月に途絶えた。残る2人は服役中で、処遇状況を伝える通知が半年に1回、少年刑務所から母親の元に届く。
「内容を見て反省していないと思い、怒りを覚えた。償いの気持ちは所詮その程度かと、がっかりした」と母親は言う。
この10年間、上村さんの家族は、事件の遺族であることを隠して生きなければならなかった。「もう騒ぎになってほしくないという気持ちと、事件を忘れてほしくないという思いが矛盾して心にある」と複雑な心情を明かし、こう強調した。「加害者は人生のやり直しがきくのだろうが、被害者側はそうではない。苦しみしかないことを知ってほしい」【横見知佳】
川崎中1男子生徒殺害事件
2015年2月20日未明、川崎市川崎区の多摩川河川敷で、中学1年の上村遼太さん(当時13歳)が1時間余りにわたって少年3人からカッターナイフで首や顔を切り付けられたり、裸で川の中を泳がされたりして死亡した。全身の傷痕は43カ所に及び、死因は首を切られたことによる出血性ショックだった。リーダー格の少年(事件当時18歳)が、別の暴行を上村さんが告げ口したと邪推したことが動機だったとされる。この少年は殺人罪などで懲役9年以上13年以下、ほかの2人(いずれも同17歳)は傷害致死罪で、それぞれ懲役4年以上6年6月以下と同6年以上10年以下の不定期刑の判決が確定した。事件は少年法改正議論が高まる契機にもなり、その後、18、19歳を「特定少年」として起訴後の実名報道を可能とするなどの法改正がなされた。