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首都で暮らす「都市型難民」 高額家賃に苦慮も「仕事のため」


スーダンの内戦から逃れたハーフィズさんは、母と妹とともにウガンダの首都カンパラで生活している。地方の難民居住区での生活も選べたが、CG制作の仕事を続けるために電気や通信環境が整う都市暮らしを選んだ。しかし、カンパラでの高額な家賃や不安定な収入に悩まされ、生活は兄たちからの仕送りに大きく依存している。カンパラには多くのスーダン難民が住んでいるが、都市にいることで必要な支援が届きにくい状況もある。一方で、ハーフィズさんは祖国への帰還と新しいCGおよびゲーム開発の夢を抱き続け、毎日勉強を重ねている。

 内戦から逃れ、他国の首都でアパートの一室に身を寄せる。難民として、地方の居住区で住まいと食べ物の提供を受けながら日々をしのぐ選択肢もあった。そうした援助は受けず、都会暮らしを選んだのは、やむにやまれぬ事情があった。

 「裕福な人は困らないが、一般の私たちには厳しい環境だ」。内戦が続くアフリカ・スーダンから、ウガンダに逃れてきたハーフィズさん(27)は顔を曇らせる。ウガンダの首都カンパラで母、妹と暮らして約1年。最も頭を悩ませているのは、高額な家賃だ。

 現在借りているアパートは、賃料が月400ドル(約6万円)。仕事の収入は月ごとに大きく変動し、2024年は多くても百数十ドル、少ない月はほぼゼロだった。エジプトとサウジアラビアにそれぞれ出稼ぎに行っている兄2人から毎月送金される計950ドル(約14万円)がなければ生活は成り立たない。

兵士から銃口向けられ

 ウガンダにはアフリカでは最多となる約180万人の難民が集まっている。大半は、政府が地方に設けた難民居住区でテントや土壁の家を建てて暮らすが、約15万人はカンパラでアパートを借りるなどして生活を送る。

 ハーフィズさんはスーダンの首都ハルツーム北郊に母、きょうだいとの一家6人で暮らしていた。しかし、23年4月、政府軍と政府系の準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の間で軍事衝突が勃発。ハーフィズさんも戦闘に巻き込まれたり、RSFの兵士に捕まって銃口を向けられたりして何度も命の危機にひんした。

 自宅を離れて国内で避難する中で、政府の役人だった叔父から連絡があった。「自分はウガンダに逃れた。治安が安定し、物価も安い。おすすめだ」。助言を参考に24年1月、ウガンダに来た。

都会生活に一長一短

 カンパラを選んだのは、仕事との兼ね合いだ。スーダンでは17年、ゲームやCMのCG(コンピューターグラフィックス)を制作する会社を設立した。経営は順調で、従業員も約20人にまで増えた。内戦直前の23年3月には広くて新しいオフィスを構えたばかりだった。他の仕事と合わせた自分の稼ぎは月300ドル(約4万5000円)で、安定した日々を送っていた。

 ハーフィズさんは「ウガンダで地方の難民居住区に住めば、家賃はかからないが、電気や通信環境を確保するのが難しく、CG制作を続けることができなくなる」と話す。

 避難生活を送る中で取引先は激減した。オンラインで開拓した欧米やアジア、中東の顧客とやり取りしていたが、専用機材が手元にないため高度な技術を要する案件は引き受けられず、受注は不安定なままだ。

 知り合いのスーダン難民たちもカンパラで飲食店や小売店を営むものの規模は小さく、国外に出た親族からの仕送りで食いつないでいるという。都会では仕事を得やすく、教育や医療体制が整っている一方、生活費がかかるため、暮らしぶりは決して楽ではない。

行き届かぬ支援

 国際協力機構(JICA)からウガンダ政府に難民政策の専門家として派遣中の山田彩乃さん(38)によると、スーダン難民は都市出身者が多いという。難民居住区で農業や畜産などの仕事になじめず、カンパラに来る人もいる。しかし、居住区の外にいることで必要な支援が届きづらくなる課題も生じている。「さまざまな背景を持つ難民を受け入れる都市づくりは、ウガンダにとっても暮らしやすい社会づくりにつながる。難民を市民の一人として支援できるよう、政府はカンパラ市に働きかけるなどしている」と説明する。

 ハーフィズさんは「一度は紛争に全てを壊された。いつかはスーダンに戻り、今度はCGだけでなくゲームの開発もできるような会社を立ち上げたい」と夢を語る。毎日プログラミングの勉強をしながら、祖国の一刻も早い平和を願っている。【郡悠介】

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