
2024年12月26日の朝、インドネシア・スマトラ島アチェ州バンダアチェ市近郊、シロンの集団埋葬地で津波20年を節目とした追悼の祈りが執り行われていた。
04年12月26日、スマトラ島沖でマグニチュード9・1の地震が発生し、大津波がインド洋沿岸諸国を襲った。周辺国を含めて計22万人に上る犠牲者を出した。インドネシアでは最大の被災地となったアチェ州を中心に16万人を超える人が亡くなった。
アチェ州最大の集団埋葬地シロンでは4万6718人が葬られており、この日多くの人がコーランを読み、花を手向け、祈りをささげた。
当時、津波犠牲者の多くは消息不明とされ、身元確認されないまま、空き地に運ばれて埋葬された。ほとんどの遺族は、大切な人々と最後の対面がかなわぬままの別れとなった。
今や集団埋葬地とは一目で分からないほどの穏やかな場所で、誰よりも真摯(しんし)に祈る女性と出会った。
「結婚生活はわずか4年間でした。でも全て覚えています」
ハスワニさん(54)は、漁師だった夫のイルワンシャさん(当時36歳)の最期の姿を見ることなく、別れることとなった。
地震発生時、自宅にいた彼女は「海面が上がっている! 逃げろ」という叫び声を聞いた。すぐに逃げ出したが、夫は様子を見に行くと言って離れ離れとなった。彼女は生後50日の息子と2歳の娘を抱えて走り、大きな家の2階に逃げ込んで難を逃れた。
その後、夫を失った彼女にできることは子供たちのために耐え、強くなることだけだったと話した。これまで何度か再婚を勧められたが彼女は全て断ってきた。「もし再婚してしまえば死後、再会することができない気がしています。夫はただ居なくなっただけじゃないのか? 今でもそう思います」
ハスワニさんは、津波で夫や母を含む親族7人を失った。
アチェの人々は喪失感の共有と、大切な人を思い続ける深い情とで結ばれてきたのだろう。
紛争と津波で知られたアチェに今ではその面影はない。津波の被害を耐え抜き、復興のシンボルとなった「バイトゥラフマン・モスク」を中心に広がる美しい街並みに穏やかな時間が流れていた。【中条望(写真家)】
中条望(ちゅうじょう・のぞむ)
1984年、三重県生まれ。これまでに難民キャンプやスラム、辺境に生きる人々などをテーマに撮影。近年はビハール人(バングラデシュ独立戦争の際にパキスタン軍に協力し弾圧の対象となり難民化。2008年バングラデシュ政府はビハール人に国籍を認める決定を下したが、権利闘争は続いている)、ロヒンギャ(仏教徒が多くを占めるミャンマーにおいてバングラデシュに程近いラカイン州出身の少数派イスラム教徒)、ネパール大地震の被災地を中心に、継続取材と発表をしている。ホームページ(http://nozomuchujo.jp)