2024年の年の瀬。大阪・ミナミの街角で、70年の歴史を持つレジャービルの飲み屋街がひっそりと営業を終えた。大阪市中央区の「味園(みその)ビル」。かつて日本最大級のキャバレーで知られ、夜な夜な妖艶な明かりに誘われた大人たちが集った。最近はサブカルチャーの発信地に変貌を遂げていたが、老朽化で建物の解体が検討されている。昭和の不夜城は姿を消すが、そこで培われた盛り場文化は場所や形を変えて引き継がれる。
ローカルCMでもおなじみ
味園ビルは、約70年前に完成した。正式名称は味園ユニバースビル。地上5階、地下1階のレジャービルは派手なネオンと外観、2階に上るスロープなどオーナーが手がけた個性的なデザインが注目を集めた。関西では、テレビコマーシャルでもおなじみだった。
時代は高度経済成長期。日本最大級のキャバレー「ユニバース」やダンスホール、サウナなどが入居。デビュー前の和田アキ子さんもステージに立った。ミナミを代表する「大人の社交場」としてにぎわった。
バブル崩壊後の一時期は経営危機に直面したが、賃料を大幅に下げたことで、若手の店主が営む小規模なバーなどが軒を連ねた。
2015年には歌手の渋谷すばるさん主演でビルを舞台にした映画「味園ユニバース」が公開され、再び脚光を浴びた。近年は個性的な飲食店が建ち並び、サブカルチャーやアングラ文化を体験できる場所として若者や外国人観光客に人気だった。しかし、建物の老朽化で、2階に店を構える約40店舗は24年末で営業を終えた。
「大きくて広くて歴史が長い。キャバレーに来ていた人もいれば、バーに通っている人もいる。世代によって見え方が違うのが味園の魅力」。2階でライブシアター「なんば白鯨」を営む柏木弘康さん(45)は味園での日々を振り返る。
お笑い芸人をしていた16年前、自身のトークイベントを開く場所を探していた。そんな時に先輩からビル内の一角にある店を引き継いだ。
店のコンセプトは「オカルト」といったいっぷう変わったものだった。店内の中央には大きな祭壇が置かれ、その日が命日の著名人の遺影を日替わりで飾って客をもてなした。週末を中心に怪談話を語るイベントなどを開き、夜はバーとして営業。他にもビル内にコンセプトを変えた3店舗を営んだ。
昭和レトロを珍しがる若者や観光客、奇怪な雰囲気に魅了されて訪れる人々など客層はさまざまだ。水商売や風俗店に勤める女性が心を許せる場所にもなった。
老朽化が著しいビルの存続を危ぶむ声は10年ほど前からあった。新型コロナウイルス禍では客足が10分の1に減った。国の補助金で何とか存続させてきたが「いつ営業できなくなってもおかしくない」と覚悟していた。24年春、運営会社から年末で賃貸借契約を終了するとの連絡を受けた。
ビルの取り壊しを聞いて、初めて来店する客や10年ぶりに北海道から足を運んでくれた人もいた。別れを惜しみ、悲しむ人は多い。だが、柏木さんの表情は明るい。「味園ビルの役割は終わったけど、また新しい場所でおのおのやっていこう。そういう自由さが味園の良さでもあるんです」
昨年の大みそか。最終営業日を迎えた柏木さんの店では、祭壇に味園ビルの写真を飾って客たちが思い出を語り合った。「味園ビルの走馬灯を見ているようで、思い出が駆け巡っていきました」。奇抜で前衛的な味園らしい最後だった。
柏木さんは2月以降、大阪メトロ・近鉄の日本橋駅付近に店を移転する予定だ。これは終わりではない。ネオンの明かりは消えても、味園で育まれた人々の縁はずっと続いていく。
「場所は変わっても『おもろかったら何でもええやん』の大阪人マインドは変わりません」。柏木さんは最後も笑顔だった。【中田敦子】