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40キロの資機材を担ぎ山頂へ 焼失した神社の再建を目指す72歳


 鳥取市用瀬(もちがせ)町のシンボルとして地元で親しまれている三角山(みすみやま)(508メートル)で、焼失した山頂の神社の再建が進んでいる。柱やセメント、発電機など工事に必要な木材、資機材の総重量は約2トン。72歳の男性がほぼ1人で約40キロずつ担ぎ山頂まで運び上げている。今秋の完成まで100往復する予定だ。荷上げ作業に同行した。

 「極力ゆっくり歩くのがポイントです」

 午前9時20分、田渕貴久さんは2メートルを超える柱3本を結わえた背負子(しょいこ)を背負い、三角山登山口である女人堂を出発した。重さは22キロ。傾斜が徐々に急となる山道をトボトボと歩み、10分後、最初の休憩をした。荷を下ろし、「歩き始めが一番きつい。でも休憩すれば疲れはとれる」

 セミ時雨の中、ペットボトルのお茶を2口飲むと立ち上がり、手ぶらで下山していった。10分後、別の背負子を背負って現れた。こちらには柱が2本。重さは21キロだ。

 田渕さんは3月から三角山頂に1日2往復して荷上げしている。といっても、登山口と山頂の2往復ではなく、二つの背負子を持ち替えながら交互に運ぶ。この日は山頂に計43キロの荷物を運ぶ計画だ。「下りながら休憩できる」と説明する。

 中鳥居を過ぎると、「一番の難所」という岩場に差し掛かった。滑りやすく、荷物なしでも慎重な足運びが必要なポイントだ。道沿いのロープはこの作業のために張ったという。時折姿勢を低くし、腰に重心を置きながら、垂れ下がった木の枝を避けて登った。

 11時半、6合目の仙行者に到着。「峠を越えた。残りの難所は(山頂直下の)鎖場だけ」。顔の汗を拭いながら安堵(あんど)の表情を見せた。

 鳥取市南東部に位置する用瀬地区。千代川河原で春に開かれるひな流しが有名だ。天狗(てんぐ)伝説の残る三角山は古くから修験者の修行の場として知られ、その形状から頭巾山(とっきんざん)ともいう。三角山神社は元は峯錫坊権現(ほうしゃくぼうごんげん)と呼ばれ、1868(明治元)年に改称。本殿周辺には天狗石など巨岩奇岩が多数あり、おおなる山(648メートル)、洗足山(743メートル)と南北に結ぶ縦走ルート「用瀬アルプス」は近年多くのハイカーの人気を集めている。

 ところが、2022年2月12日、三角山の登山者から「山頂の神社が跡形もなくなっている」と市用瀬町総合支所に通報があった。翌日、田渕さんらが現地を確認したところ、1845(弘化2)年に建てられた本殿が焼け落ちていた。落雷の可能性が高いという。完全復元は困難として2022年3月、市文化財指定は解除された。

 その後、氏子らを中心に再建の機運が高まり、募金などにより必要な約1600万円が確保できた。しかし、山頂への物資輸送にヘリコプターを使うとさらに200万円以上が必要になる。過去に三角山頂の鳥居やおおなる山避難小屋の建設で運搬を担い、地元エコツーリズム連絡会長を務める田渕さんが一肌脱ぐことになった。

 山に荷上げする人を歩荷(ぼっか)と呼ぶ。新田次郎の小説「強力(ごうりき)伝」は180キロを超える巨石を白馬岳(2932メートル)に運んだ実在の歩荷がモデルだ。田渕さんは20代から日本アルプスで鍛え、50キロの山頂標識を運んだこともある。

 登山口を出発してから4時間20分後の午後1時45分、田渕さんは二つの背負子を山頂に運び上げ、この日の作業は終わった。途中7カ所で休憩した。ちなみに、通常の三角山登頂に要する標準時間は1時間だ。2人の大工による再建作業が進む中、田渕さんは「完成が楽しみ」と笑みを見せた。【渕脇直樹】

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