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松やにを航空燃料に 戦争末期に生産運動 V字の傷は無言の語り部


 佐賀県唐津市の「虹の松原」。その再生・保全に取り組む「唐津環境防災推進機構KANNE」の藤田和歌子理事長が、空を覆う松の根元を指さした。「V字形の傷が戦争中に松やにを採取した痕だそうです」

 ひと抱えできないほど太い幹に横約20センチ、縦約15センチの表皮をえぐった痕。田中明・佐賀大名誉教授によると、20年前にこうした松が約60本確認された。

 戦争末期の物資不足の中、松の根を釜で乾留(かんりゅう)して得られる「松根油(しょうこんゆ)」が注目された。政府は1944年10月から増産運動を全国で展開。「200本の松の根で航空機が1時間飛ぶことができる」という内容の標語も広まった。

 松やにも油の原料となり、45年8月10日付毎日新聞は、広島に投下された「新型爆弾」に関する記事の横で、「“新油田”松脂(まつやに)で凱歌(がいか) 日本的技術が生む翼の高性能燃料」と伝えた。

 戦後作成された米戦略爆撃調査団石油・化学部報告の訳書「日本における戦争と石油」(石油評論社刊)には松根油の燃料について「きわめて不安定で、急速に酸化するという欠点があった。このガソリンがかつて航空燃料として使用されたという記録はなく――」とある。また、石油代替物の生産に大勢が動員され「日本が労働力と装置の不足しているさなかに、その双方を奪い取った」と総括。松は無理に進められた戦争の「無言の語り部」(田中名誉教授)でもある。

 藤田さんは「全国には松根油の生産で消えてしまった松原もあると聞く。なぜ唐津は残ったのか。そうした歴史も含め、次世代に引き継ぎたい」と話す。【西脇真一】

虹の松原 

 唐津湾に面した長さ約4.5キロ、幅約0.5キロに広がる松林。江戸時代初期に初代唐津藩主、寺沢広高が防風・防潮のため植林したのが始まりとされる。日本三大松原の一つに数えられ、国の「特別名勝」。見学自由。

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