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牧野富太郎、最晩年も生き生きと 「幻の新聞」に掲載 新潟で企画展


 NHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなった植物学者、牧野富太郎(1862~1957年)にちなんだ企画展「牧野富太郎博士が見た新潟の植物」が、新潟県長岡市立科学博物館(同市幸町2)で28日まで開かれている。中には、戦後のわずか14年間だけ発行された「幻の新聞」が、88歳の博士宅で50万点もの標本整理が始まることを特集した貴重な記事も展示。不世出の巨人が晩年まで精力的に活動した姿を生き生きと伝える。

 富太郎は現在の高知県で生まれ、94歳で死去する直前まで植物の採集と研究を続けた。記事は夕刊紙「サン写真新聞」の51年1月30日号。見開き2ページに8枚の写真を大きくあしらう。

 <標本整理は、文部省からの30万円援助費支出の決定により、いよいよ2月1日から着手されることとなった。博士が小学校さえ出たか出ぬかの学歴にもかかわらず、(数え年で)90歳の今日に至るまで生涯の殆(ほと)んどを植物研究に捧(ささ)げ、世界的な偉業と名声を博した人であることは今更説明するまでもなかろう。標本整理の日近しとあって、嬉(うれ)しさのため眠られぬという、この老博士を(東京都)練馬区東大泉の自宅に訪ねた>

 写真説明には<猫が2匹いる 標本をネズミがかじって困るからだという チリとゴミの中に この世界的資料はうずもれているのだ><この室で毎夜2時まで研究 戦時中山梨に疎開の際この本を全部持って行かねば動かぬというので運送を頼んだら貨車3台分になった。最近は窓を壊して盗まれるので困る>と博士宅の様子や活動を活写。

 <昨年一昨年と二度にわたって死直前の重患に見舞われながら奇跡的に健康をとり戻した博士は粗末な生活ながら至って元気><耳はやや遠いが眼鏡も入歯も使わずスキ焼 ヤキソバなど油物が大好物>と、富太郎の暮らしぶりをユーモラスな筆致で描いている。

 この自宅は後に、富太郎の死の翌年から練馬区立牧野記念庭園として一般に開放されることになる。写真説明には<その家は武蔵野の一角 790坪の敷地に80坪の母屋と20坪の標本所 昭和8年以来殆んど荒れるにまかせられ 崩れんばかりに傾いている>と記している。また、同じ日の別のページには「国連軍京城へ迫る」の見出しで、朝鮮戦争で国連軍がソウル奪還目前という戦況を記し、当時の時代背景が分かる。

 企画展を手掛けた学芸員の桜井幸枝さん(47)によると、紙面は博物館の蔵書である富太郎の著書に挟まれて残っていた。「植物標本や標本整理の話題が特集記事になることは現代でも珍しい。当時の博士の生活も来館者に伝わると考えた」と展示の狙いを話す。

 サン写真新聞は、終戦直後の46年から60年まで発行された。毎日新聞社の社史「『毎日』の3世紀」によると、終戦後の政府の新聞用紙割り当てが新興新聞社を優遇し、戦前から続く新聞社に回される量が少なかったため、別会社を設立して「毎日新聞とは別の新聞」として発行していた。

 同紙は、富太郎が亡くなる1年半前の55年7月12日号でも、写真3枚の特集記事を掲載。富太郎が50年前から続け、戦後は解散同然だった「東京植物同好会」が、教え子たちの尽力で「牧野植物同好会」と改称して復活したことを<会員250余名がワァーとばかり牧野さんのお宅に押し寄せた>と伝える。同会は現在まで活動を続けている。

 企画展の中心は、新潟県を5回訪れた富太郎の足跡や、県内の植物愛好家とみられる人物が富太郎に鑑定を依頼して返却された標本約100点。長岡市立科学博物館はサン写真新聞の記事と同じ51年に開館したが、標本や紙面の入手経路は記録がなく謎に包まれている。【早川健人】

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