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吉野ケ里遺跡「謎のエリア」で弥生時代の石棺墓 有力者の可能性


 佐賀県は29日、弥生時代の大規模な環濠(かんごう)集落跡で知られる国指定特別史跡の「吉野ケ里遺跡」(佐賀県神埼市・吉野ケ里町)で、弥生時代後期後半~終末期(2世紀後半~3世紀中ごろ)のものの可能性が高い石棺墓(せっかんぼ)が見つかったと発表した。発見場所や規模から有力者の墓の可能性がある。6月5日から石蓋(いしぶた)を開いて石棺墓内部の調査を始める予定。

 石棺墓が見つかったのは遺跡の中央付近で、弥生時代中期の歴代の王の墓とされる北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)の西約150メートルにある。18世紀の創建とされる日吉神社の跡地で、これまで未発掘で「謎のエリア」と呼ばれていたが、神社移転に伴って2022年度から発掘調査を進めてきた。

 今年4月、表土を掘削中に石棺墓の石蓋4枚が見つかった。4枚は1列に並んでおり、全長約2・3メートル、最大幅約65センチ、最大厚さ約18センチ。石棺を埋める際に掘られた穴(墓坑<ぼこう>)は長さ約3・2メートル、幅約1・7メートルあり、一般的な墓坑(長さ2メートル程度)より規模が大きいという。墓は未盗掘だった。

 石棺墓は弥生時代後期後半から古墳時代初頭(2世紀後半~3世紀末)にみられ、邪馬台国があったとされる時代と重なる。石蓋には死者を封じ込める意味があるとされる「×」や「キ」に似た線が多数刻まれている▽見晴らしの良い丘陵頂部に単独で埋葬されている▽一般的な石棺墓より規模が大きい――などから有力者の墳墓の可能性が高いという。同遺跡ではこれまでも18基の石棺墓が見つかったが、いずれも規模が小さく、副葬品も発見されていないなど、有力者の墓ではないという。

 また、同遺跡では弥生時代中期の王の墓は発見されているが、弥生時代後期の有力者の墓は見つかっていない。県文化課は「内部調査で副葬品が出れば有力者だといえる一つの論拠になる。何が出てくるかによって、どういう立場の人かなど人物像に迫れる可能性もある」としている。

 吉野ケ里遺跡に詳しい佐賀女子短期大名誉教授の高島忠平さん(83)は「丘陵の上の方から見つかり、線刻があることから特別な死に方をした人か、比較的高貴な身分の人の墓だとみている。環濠集落が整備された頃と同じ時期の墓だとすれば、遺跡の性格や当時の社会での位置づけがより明確になる」と話している。【斎藤毅、山口響】

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