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沖縄・辺野古に続く浦添の埋め立て 反対署名3万人超「海残して」


 沖縄県浦添市の浅瀬を埋め立て、那覇市にある米軍那覇港湾施設(那覇軍港、約56ヘクタール)を移す政府の計画に対し、中止を求めるオンラインの署名活動が開始から半年で3万人超の賛同を集めている。「辺野古」に続き、サンゴの海を埋め立てて基地化する計画。決定から30年近くたつが、4月に日米両政府が具体案に合意し、いよいよ現実味を帯びてきた。署名の呼びかけ人たちは「まだ止められる。豊かな海を残してほしい」と訴える。

 計画の発端は、1974年に日米が移設を条件に那覇軍港の返還に合意したことにさかのぼる。軍港のある場所は那覇空港に近い産業振興の適地で、県は72年の日本復帰時から返還を求めていた。

 移設先は県内とされ、日米は95年、浦添市沿岸部と決定した。2001年に当時の浦添市長が、沿岸部の物流施設整備やリゾート開発も進めることを条件に米軍港の受け入れを表明し、計画の青写真ができた。関係する県、那覇市、浦添市の3者とも現在、移設計画を「容認」する姿勢で、日米両政府の外務、防衛担当者による日米合同委員会は23年4月、浅瀬を埋め立てて「丁字形」の軍港(約49ヘクタール)を造り、その上に事務所や倉庫など17施設を整備する計画に合意した。

 軍港の南側も約109ヘクタールを埋め立て、民間用の物流用地や貨物岸壁、マリーナ、人工ビーチを整備する。

 一帯は「イノー」と呼ばれるサンゴ礁の浅瀬が広がり、家族連れや若者らが小さな生き物たちを探したり、夕日を眺めたりする憩いの場になっている。那覇、浦添両市がある沖縄本島中南部の沿岸部はこれまでも港湾や商業用地として埋め立てられ、市民が憩える自然の浅瀬は残り少ない。

 「この海を埋め立てないで」。そう題した署名集めは、沖縄県南風原(はえばる)町のユーチューバー、中村陽輝(てるき)さん(47)がSNS(ネット交流サービス)で知り合った賛同者らと、22年11月からオンライン署名サイト「Change.org」(チェンジ・ドット・オーグ)で始めた。SNSで釣り情報を発信してきた中村さんは「日本政府は『SDGs(持続可能な開発目標)推進』を唱えながら、沖縄では豊かな海を破壊して米軍基地やリゾートを造ろうとしている」と訴える。署名はSNSなどを通じてじわじわと広がり、3万3000人を超えた。

 これに対し、浦添市の松本哲治市長は取材に「なぜ、今さら……。真意を測りかねる」と首をひねる。松本氏は13年に「移設反対」を掲げて就任したが、1期目途中に「苦渋の決断」として移設容認に転じた。21年2月の市長選では自公政権の支援を受け、移設に反対する候補を大差で退けて3選を果たしている。

 「(署名は)知事選が終わってからのスタートだ。それはどういう意味を持っているのか。本気なら、知事から説得しないと」。松本氏はそう語る。玉城デニー知事が米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設に伴う名護市辺野古の埋め立て工事に反対しながら、軍港の浦添移設は「那覇軍港の早期返還が必要」として容認している姿勢を22年9月の知事選で厳しく問うべきだったというわけだ。

 一方、署名を呼びかける中村さんは「反対の意思を示す機会はこれまでもあったかもしれないが、浦添の埋め立て計画は多くの県民や全国の人に知られていなかった」と反論する。

 実は、一帯の浅瀬が多くの市民の目に触れるようになったのは最近のことだ。背後には広大な米軍牧港補給地区(キャンプ・キンザー、約268ヘクタール)があり、海岸線に容易に近付くことはできなかったが、18年3月に海岸沿いの道路が開通。19年6月には大型商業施設「サンエー浦添西海岸パルコシティ」が開業して、市民が気軽にアクセスできるようになった。米軍基地の裏に自然豊かな海岸が残っていることに多くの市民が気付いた。

 防衛省は今後、設計や環境アセスメント(影響評価)の手続きを進め、知事の埋め立て承認を得て着工する方針で、代替施設の完成と那覇軍港の返還は早くて30年代後半になる見通し。中村さんらは今夏ごろをめどに集めた署名を防衛相や知事、那覇市長、浦添市長に提出し、早期の計画見直しを求める。中村さんは「知れば反対する人は多いはずで、これから広げていくのでも遅くはない」と語る。【比嘉洋】

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