鎌倉時代の弘安の役(1281年)で長崎県松浦市の鷹島(たかしま)沖に沈没した元寇(げんこう)船の木製
いかりの木材部分が1日、引き揚げられた。これまでに港湾工事に伴う調査で9基の
いかりが引き揚げられているが、計画的に引き揚げるのは今回が初めて。海底には2隻の元寇船が確認されており、船本体の引き揚げへ向けた足がかりとする。
いかりは、鷹島の沖約150メートル、水深約20メートルの海底からバルーンを使って水中に浮かせたまま岸壁へ運び、クレーンで引き揚げた。741年ぶりに水上に姿を現した
いかりは「レ」の字形で、長さ約175センチ、幅約25センチ、推定重量200キロ弱。トラックで市立埋蔵文化財センターに運び、海水の入った水槽に保管した。今後、木材にねじれや反りが生じにくい糖類の一種であるトレハロースを溶かした水に浸して2年ほど保存処理する。
いかりの石部分(長さ約230センチ、幅最大約50センチ)も2日に引き揚げ、木材部分と合わせて8日から同センターで一般公開する。
今回の
いかりは、木材と
いかり石1個を組み合わせた「一石型木製
いかり」。木材の両側に
いかり石を配置した過去9基の「二石分離型木製
いかり」とタイプが異なり、元寇船団の調達方法や構成を解明する手がかりになる可能性もある。
引き揚げは国や県の補助金、クラウドファンディングなど約1900万円の予算で市が実施した。元寇船本体の引き揚げは地方自治体単独では困難で、友田吉泰市長は「国として取り組んでもらいたい」と期待を寄せた。
弘安の役では暴風雨で元軍の総勢14万人、船団4400隻が
鷹島沖に沈んだとされる。
鷹島では1980年から研究が始まり、2012年には「
鷹島神崎(こうざき)遺跡」が水中遺跡としては初めて国史跡となった。11年と13年に元寇船本体が発見されている。【綿貫洋】
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