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「友好の使者」務め40年=大学院留学1期生、草の根交流訴え―天安門事件に衝撃・薛鳴愛知大教授


 1972年の日中国交正常化から29日で50年。中国政府派遣の大学院留学1期生として40年前に来日した愛知大(本部・名古屋市)現代中国学部教授の薛鳴さん(65)は当時、「日中友好の使者」ともてはやされた。関係の冷え込みに心を痛め、「草の根の交流をし、互いに理解を深めることが重要だ」と話す。  薛さんは中国東北部の吉林省出身。小学生の頃に文化大革命があり、大学教員だった両親と共に農村に「下放」された。文革が終わり10年ぶりに再開した大学の入試に合格し、20歳で日本語学科に入学した。  82年に大学院留学1期生として来日し、大阪外国語大(現大阪大)などで学んだ。アルバイトで中国語を教えたが、生徒は年配の人ばかり。若者の中国に対する関心は薄く、「人民服を着ていないのか」と驚かれたこともあったという。  博士課程を終えて帰国した翌年、民主化を求める学生らが武力で弾圧された天安門事件が発生。中国では当時ほとんど報道がなく、数カ月後に再来日して初めて詳細を知った。「装甲車が(学生らに)突入する映像に衝撃を受けた」と振り返る。  その後、日本の複数の大学で教壇に立ち、結婚し子育てもした。この40年で「日本人にとって中国は身近な存在になった」と感じる。両国の社会や経済、文化面での結び付きは強くなり、中国に関心を持つ学生も比較にならないほど増えた。  一方、日中間には歴史認識や領土問題などの課題が横たわり、近年は関係悪化も指摘される。薛さんは「隣国として『持ちつ持たれつ』の関係を続けるには、人と人とが草の根の交流をして同じ人間だと知り、互いに国や文化への理解を深めることが大切だ」と語る。  背景には祖父の体験もある。旧満州で医師をしていた祖父は終戦直後、中国人住民らに激しく殴られ、死にそうになっていた日本人青年の手当てをし、息子と偽って一時家にかくまった。「侵略者ではなく、人として見たから命を救ったのだろう」。青年は2年後、日本に引き揚げ、国交正常化後に再会を果たしたという。  薛さんは来日後の日々を振り返り、「多くの日本人学生に中国の言葉や文化を教えることで『友好の使者』の役割を果たせたかな」と頬を緩めた。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕インタビューに応じる愛知大現代中国学部教授の薛鳴さん=14日、名古屋市中村区 〔写真説明〕大学院生時代に旅行で京都の「天橋立」を訪れた薛鳴さん(本人提供)
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