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語り継ぐ、残留邦人の記憶=2世・戦後世代が講話活動―日中国交正常50周年


 中国残留邦人が歩んだ苦難の人生を、2世や戦後世代が講話活動を通じ語り継いでいる。実の親とはぐれ中国人として育てられた人生、訪日調査を経て帰国したものの見つからない親族―。語り部たちは一人一人の歩みに思いをはせ、戦争の記憶と平和の誓いを次世代に継承する。  「母は戦争によってもたらされた運命と闘ってきました」。東京都府中市の長久保まりさん(49)は2020年から、残留孤児だった母の間瀬珠美さん(78)について話している。1945年8月9日、ソ連軍が中国東北部に侵攻。当時1歳だった間瀬さんは一人、栄養失調の状態で拾われ、中国人の養父母に引き取られた。  17歳の時には叔父から「日本人」だと知らされたが、養父母は何も話さなかったという。91年の訪日調査に参加し、その後家族4人で永住帰国したが、親族は見つかっていない。  長久保さんは聞き取りを通じ、「母や養父母の気持ち、実の家族の痛みや悔しさをより強く想像するようになった」と振り返る。「本当の家族を見つけられなかったことが人生で一番残念。ただ養父母が育ててくれたことは永遠に忘れることができない」。帰国から約30年の歳月が流れたいまも、間瀬さんはそうつぶやくという。  千葉県市川市の今村幸一さん(69)は、78年に永住帰国した片野坂忠光さん(85)の歩みを語る。ソ連軍の侵攻で8歳の時に家族と離散。最初に引き取られた中国人の家庭は貧しく、3年間物乞いのような生活を強いられた。  片野坂さんは41歳で家族と日本の地を踏んだが、日本語が不自由なこともあり、仕事を転々とした。今も言葉に苦労しており、今村さんは「戦争は何十年も人を苦しめます」と強調する。  語り部を育成する「首都圏中国帰国者支援・交流センター」によると、30~60代の男女14人が3年間の研修を経て講話を担っている。担当者の馬場尚子さん(65)は「ロシアのウクライナ侵攻もあり、聴衆の反応も変わってきている。体験者の記憶を引き継いでいきたい」と話す。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕中国残留邦人2世で、母親の体験を語る長久保まりさん=15日、東京都台東区
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