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物価暴騰、暮らし直撃=ドル安に便乗値上げ―通貨交換・沖縄復帰50年


 1972年5月、沖縄の物価は暴騰し人々の暮らしを直撃した。復帰前年に円ドルの固定相場制が崩れ、ドル安によって本土からの輸入価格が上昇。これに、ドルから円への価格表示切り替えの際に便乗値上げが相次ぎ、追い打ちをかけた。  那覇市の消費者物価指数は復帰後の72年6月、前月に比べ14.5%も上昇した。年間を通して見ると、上昇率は21.7%。このうち肉類は38.3%、調味料は22.0%、天候不順の影響を受けた野菜は実に70.8%も値上がりした。  中でも、通貨交換に伴いドルから円に表示が切り替わった際に物価は一気に押し上げられた。復帰から1週間後に県が行った調査によると、食材や衣服など主要252品目のうち、政府が決めたドル円の交換レート「1ドル=305円」を上回る306円以上の換算レートで表示替えされたのは、9割に当たる226品目。361円以上の「割高」な表示替えも77品目に上った。物価は大きな社会問題となり、県資料は「生活は苦しくなるばかりで、復帰しても何も良いことはない」と嘆く消費者の声を紹介している。  沖縄でドルが法定通貨として使われたのは、58年9月から復帰までの13年半。復帰前を知る当時の少年少女らにとって、「1ドル」は305円の交換レート以上に使い勝手のあるお金だった。「那覇へのバス代と映画代、映画館での飲食代を支払っても1ドルでまだお釣りがあった」(60代女性)、「お年玉で1ドルくれた叔母の言うことは何でも聞いた」(60代男性)など、思い出は尽きない。  教員だった伊藝美智子さん(78)は70年に長男を出産。同僚からの出産祝いは1ドルだった。一方、72年10月に双子を出産した主婦の金城真由美さん(69)の祝い金は2000円。「1人1000円、双子だから2000円」と振り返る。復帰をはさみ、物価とともに出産祝いの相場も切り上がっていた。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕通貨の切り替えとともに物価が急上昇し、抗議のデモを行う沖縄婦人団体連絡協議会の女性たち=1972年5月27日、那覇市
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