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「漫画の神様」に憧れ=人生決めたトキワ荘―藤子不二雄(A)さん


 「手塚先生がいなかったら、僕は絶対に漫画家になっていなかった」。藤子不二雄(A)さんは昨年4月、東京都内で開かれたイベントで、手塚治虫さんへの思いを語った。相棒だった藤子・F・不二雄さんと漫画家を志したのは、「漫画の神様」への憧れからだった。  富山で過ごした少年時代。藤子(A)さんらは「映画少年で、将来は映画監督になりたかった」という。その頃2人は手塚さんの伝説的漫画「新宝島」を読み、衝撃を受ける。「手塚先生は紙の上で映画を作られた。革命的な作品に出合って、僕らも漫画家を目指したんです」  2人は上京し、豊島区のアパート「トキワ荘」を訪ねた。4畳半暮らしの手塚さんは幾つも雑誌連載を抱えていたが、アシスタントはまだいなかった。担当編集者が線を引いたりベタ塗りしたりしているのを見かねた藤子(A)さんは、手伝いを申し出て4日間作業を続けた。その後も何度か声が掛かり、「日本の漫画アシスタント第1号は僕だと今も自慢にしとるんです」と懐かしんだ。  手塚さんがトキワ荘を出た後、2人は憧れの人が使っていた部屋で「藤子不二雄」として漫画を描き続けた。トキワ荘からは石ノ森章太郎さんや赤塚不二夫さんら、日本を代表する漫画家が巣立った。漫画と懸命に向き合った喜びや苦悩の日々を、藤子(A)さんは自伝的漫画「まんが道」に込めた。独自の黒々とした画風で、若者たちの切羽詰まった心情をリアルに表現した。  トキワ荘は一度解体された後、2020年に「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」として復元された。藤子(A)さんはイベントで「トキワ荘は僕らの人生を全部決めたアパート。立派に復元され夢のようだ」と喜んだ。  「みんなものすごく個性があって、くせがあって、自分が一番と思っているような青年がトキワ荘に集まってきた」。藤子(A)さんは「手塚先生の影響で、あらゆる運命が変わった」と語っていた。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕トキワ荘マンガミュージアムのイベントに駆け付けた藤子不二雄〔A〕さん(左)=2021年4月、東京都豊島区
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