
お茶会に招かれていたのは、雅子さまの主治医として愛子さまのご誕生に立ち会った産婦人科医の堤治さん。しかし当日の朝、出席を諦めかける予期せぬ出来事が起こりました。無事に駆けつけた堤さんを待っていたのは、健やかに成長された愛子さまとの思いがけない交流でした。
東宮職御用掛を務めた堤さんの著書『堤ノート 愛子さま誕生までの300日』(小学館)から一部抜粋し、愛子さま1歳のお茶会で垣間見えた、ご一家の和やかな姿を紹介します。
お茶会を前に起きた「予期せぬこと」
2002年12月1日は愛子さま1歳の誕生日です。東宮御所で午後3時からお茶会が催されるとのご案内をいただき、愛子さまに久しぶりにお目にかかれることを大変楽しみにしておりました。一日千秋の思いで当日の朝を迎えたのですが、予期せぬことが起こりました。現在の宮内庁病院はお産を扱っておりませんが、2002年当時は年に数件のお産を受け入れており、12月中旬に1件の予約が入っていました。
まだ2週間ほど先だと思っていたその妊婦さんが産気づき、入院されたのです。本格的な陣痛は始まっていませんでしたが、いつお産になるかわかりません。そんな方をおいて病院を留守にするわけにいきませんでした。
私は定月医長に「私の診ている患者さんだから、私が留守番します。先生はお茶会に参加してください」と言いました。定月先生は「なにをおっしゃいますか。御用掛の先生は出席しなくてはいけません」と押し問答が繰り返され、結論はなかなか出ません。
“どちらか一人だけが参加するというわけにもいかないだろうな”と諦めかけた、その時です。妊婦さんの陣痛が始まったと思ったら、2時間ほどで子宮口が全開し、午後1時40分、無事に出産に至りました。長年の産科医生活の中でも、これほど早い経過はありません。
神様が“譲り合う二人の医師をお茶会に出席させてあげよう”とお取り計らいくださったのでしょうか。生まれたての女の子を抱いたお母さんに「愛子さまと同じ誕生日ですね」と申し上げると、大変喜んでくれました。
手押し車を押してにこやかに登場
それから我々は大急ぎで東宮御所に向かいました。お招きいただいた関係者がすでに集まっていて、手押し車を押して愛子さまがにこやかに登場された時には、歓声と拍手が湧き起こりました。表情もますます豊かになられ、健やかに成長されているご様子に参加者一同の心は大変和んだはずです。
医学的には1歳未満は「乳児」で、1歳から自我が育ち始める「幼児」とされますが、愛子さまは人見知りもせず大勢の参加者に接してくださいました。
両殿下(当時の皇太子ご夫妻、現在の天皇・皇后両陛下)が目を細めてご覧になっておられるお姿は、まさに「日本の家庭の理想」だと思いました。
気のせいかもしれませんが、愛子さまと私はなぜか目がよく合い、愛子さまが私のほうに近づいていらした際には思わず手が動いて、私の表現で言わせていただくと“握手”していただきました。
ご誕生の際に最初に頭をなでた私をどこかにご記憶いただけていたのなら、産婦人科医冥利に尽きることこの上ありません。
愛子さまの育児について語られたこと
拝謁は格式高い「儀式」ですが、お茶会は飲み物や軽食を囲みながら懇談する場で、両殿下と愛子さまをお囲みして、和やかな時間を過ごさせていただきました。殿下は愛子さまの誕生に関わった出席者に感謝の意を述べられ、愛子さまの育児に参加されていることもユーモアを交えてお話しくださいました。
さらに殿下は「健やかに育ってくれることがなにより」とおっしゃられました。その言葉を聞き、改めて「日本の家庭の規範」と感じるとともに、国民に“お手本”を示してくださっていると思った次第です。
両殿下がなさっているのは、決して特別なことではありません。夫婦で力を合わせ、お互いを尊重しながら子どもを育てることは、誰であろうと素晴らしく、幸せなことです。多くの国民が憧れるだけでなく、自己実現の模範にしていただきたいと今も願っています。
産婦人科医の私が言うのも憚られるかもしれませんが、子どもをもつことの幸せを考える暇のない若い世代の方々にも知っていただき、ご自身の将来のライフスタイルを考えるきっかけにしてもらえれば嬉しく思います。
著者:堤治(産婦人科医・元東宮職御用掛)
1950年、埼玉県生まれ。東京大学医学部卒業。同大学医学部産科婦人科教授、山王病院院長などを歴任。東宮職御用掛として皇后雅子さまの主治医を務め、愛子さまのご誕生に立ち会った。現在も産婦人科医として診療に携わる。
