IT導入や運用を検討する際に必ず考えなければならない「ASIS(現状)」「TOBE(ありたい姿)」「HOW(実現方法)」。何をどのように目指すのかを明確に決めない限り、ITの導入効果を最大化できません。ではこれら3要素を、どう使えばよいのか。そこで今回、エンタープライズIT協会 代表理事で株式会社AnityA代表の中野仁氏が、「TOBE」を起点としたIT企画推進の在り方を解説します。【第2回:IT企画推進担当者に求められるキホン】
現状の課題を解消するITを導入するだけでは不十分
新たなシステム導入を検討する際、多くの企業は「ASIS(現状)」を分析することから始めます。現状の課題を洗い出し、その解決策としてシステムの導入を検討します。多くの課題を解決するための機能を要件として定義し、必要な機能を備えるシステムを検討するケースが珍しくありません。
このような「ASIS(現状)」を起点としたシステム導入を、ここでは「積み上げ型」アプローチと呼びます。積み上げ型アプローチは一見すると、理に適っていると言えます。しかし、それは短期的な視点です。短期的には複数の課題を一挙に解決でき、導入による効果を十分見込めるでしょう。では、長期的な視点ではどうでしょうか。目先の課題を解決するための機能や要件は、自社の中長期的な戦略を支える要件と合致するのでしょうか。この視点を見逃すと、社内の至る部署で積み上げ型アプローチに基づくシステムが導入されるようになってしまいます。これらのシステムは、同じ会社内で使われるにも関わらず、一貫性はありません。あくまで各部署の課題解決に必要な機能を備えているに過ぎません。その結果、システム同士の連携は難しく、会社全体の効率性を損なうシステムになりかねないのです。データや業務が分断し、全社の効率性や生産性さえ損なってしまうのです。
多くの企業が、目先の課題解決の手段としてITを検討しがちです。「今困っていることを解決したい」という声から出発し、目の前の問題を解消する手段としてITが導入されているのです。
では、長期的かつ全社視点を踏まえたIT導入を目指すには何が必要か。このときもっとも重要なのが「TOBE(ありたい姿)」です。現状の課題を洗い出すことから始めるのではなく、会社として具体的にどのような姿を目指すのかをきちんと設定することから取り組むようにします。
つまり、IT導入効果を最大化するためには、具体的なTOBE(ありたい姿)を明確に設定し、そこから現状(ASIS)とのギャップを分析することが極めて重要です。その上で、必要な施策(HOW)を導き出すアプローチを描きます。TOBEとASISのギャップを考えるといった逆算する思考法こそ、IT導入では見逃してはならないのです。
この逆算による思考法は、「何のため」といった目的を明確にすることができます。これにより、すべての活動に一貫した方向性を持たせられるようになります。 登山に例えると、まず「どの山に登りたいか」を決めてから装備や訓練計画を立てるのと同じです。山の高さや難易度によって、必要な準備は大きく異なります。IT導入でも、何を目指すかに応じてシステムの要件や機能、技術も変わるのです。
理想的なTOBEを描くために注意すべきこととは?
では、良いTOBEを描くためには何が必要か。このとき大切なのが、「誰が」を明らかにすることです。主語を省略すると目的がぼやけます。例えば「情報を共有する」とただ明示するのではなく、「営業部門のスタッフが顧客情報をリアルタイムに共有する」といった具合に、具体的に定義します。TOBEを考えるときは、「誰がどう嬉しいのか?」という問いの答えを探るようにします。これにより、実現すべき価値が明確になり、関係者の共感を得やすくなります。
良いTOBEの条件は以下の通りです。
・主語が明確:「誰が」その状態を実現・享受するのかを明示
・状態を表現:「?になっている」という形で達成後の状態を記述
・具体的・測定可能:抽象的な表現ではなく、具体的かつ可能なら数値目標を含む
・経営戦略との整合性:会社全体の方向性や優先事項と一致している
・価値の明確化:「誰がどう嬉しいのか」という価値を表現
もっとも、最初から完璧なTOBEを描けるわけではありません。TOBEを明確にするためには何度も修正を重ね、関係者との議論や合意形成を通じて徐々に言語化することが重要です。言語化するのを早々に諦めることなく、常にTOBEを意識し続けることで具体的かつ理想的なTOBEを描けるようになります。
TOBEを起点としたIT企画推進を実施する利点とは?
TOBEから逆算するアプローチが求められる理由の1つとして、ASISとHOWだけで積み上げると迷子になりやすいことが挙げられます。現状の問題点から施策を考えると、部分最適化に陥り、全体の方向性を見失います。結果的に場当たり的な対応を繰り返し、企業のIT企画推進がブレやすくなります。これは登山で例えると、最終目的地を決めずに「歩きやすい道」を選び続けるのと同じです。目的の山頂からどんどん離れていってしまうようなものです。
さらに、ASISとHOWだけでは技術負債・組織負債のリスクが上がってしまうのも理由の1つです。戦略なしにレガシーシステムを使い続けているケースが最たる例です。TOBEをまったく描かず、ASISとHOWのみで場当たり的に対応している状況に過ぎません。結果としてレガシーシステムの維持管理費が増大するなどのリスクを招くのです。
TOBEから逆算するための3つのステップ
TOBEから逆算して理想的なITを導入するというアプローチを踏む際の手順は大きく3つに分かれます。
第1ステップ
関係者を巻き込んだTOBEの設定です。TOBEの設定には、経営層、IT部門、事業部門など、様々なステークホルダーを巻き込むことが重要です。多様な視点を取り入れることで、より実現価値の高いTOBEを設定できます。
設定したTOBEは文書化し、関係者間で共有します。この際、「誰が」「何を」「どうなっている」という3つの要素を含め、具体的かつ測定可能な形で表現することが重要です。抽象的な表現ではなく、達成されたかどうかを客観的に判断できる状態を描写しましょう。
第2ステップ
ASISとTOBEのギャップ分析です。現状(ASIS)とありたい姿(TOBE)の間にはどのようなギャップがあるのかを分析します。このギャップが、解決すべき課題となります。
第3ステップ
HOW(実現方法)の検討です。TOBEとASISのギャップを埋めるために必要な施策を検討します。この際、施策の優先順位を考慮し、ロードマップを作成すると良いでしょう。
では、ASIS、TOBE、HOWの関係を、基幹システム刷新プロジェクトを例に見てみましょう。ここで注意したいのは、多くの企業はこれまで「ASIS」の分析から取り組んでいたということ。ASISからHOWを導き出すといったアプローチではなく、あくまでTOBEありきでASISとHOWを考えるアプローチをイメージするようにします。
TOBE
「全部門の管理職が統合ダッシュボードからリアルタイムで業績データを参照でき、データ収集に費やす時間が週あたり10時間削減され、データに基づいた意思決定が社内標準になっている。これにより新規施策の検討時間が30%増加し、市場変化への対応スピードが2倍になっている」
ASIS
「各部門が異なる形式でデータを管理しており、全社的な状況把握に管理職の時間が週に15時間消費され、レポート作成に2週間以上かかっている。多くの意思決定が経験と勘に頼っており、市場変化への対応が遅れがちになっている」
HOW
・全社データの標準化とマスターデータ管理の整備
・リアルタイムデータ連携基盤の構築
・統合データウェアハウスとBIダッシュボードの開発
・データドリブン意思決定のための管理職研修プログラムの実施
3要素がこうした関係で紐づいている状態が、理想的なITを導入するためには必要です。すべてがTOBEから始まり、ASIS、HOWを整理することこそ、IT導入や運用を検討するIT企画推進担当者には不可欠な視点なのです。
次回は「TOBEのピン留め」について詳しく解説します。設定した目標をどのように安定させ、変化する環境の中でも一貫性を保てるようにするのかを掘り下げます。