尾崎豊は1983年に若干18歳でデビューし、青春の痛みや過激なまでの反骨心を表現した数々の作品で、同世代の若者を中心に熱狂的なファンを生みました。世に出てからは、当時のロックミュージシャンの多くがそうであるように、スランプや薬物での逮捕、不倫といった苦闘の連続だった尾崎豊。今回は、1992年に急性アルコール中毒で亡くなるまでの全71曲の中から、反骨スピリット溢れる熱い5曲をご紹介。
「15の夜」
「15の夜」は、1983年(昭和58年)にリリースされた尾崎豊のデビューシングルです。この楽曲は、長らく尾崎自身の経験を基に制作されたものとされてきましたが、後年、尾崎の父により、家出をした友人の話をベースにした楽曲であることが明らかになりました。歌詞の中には、盗んだバイクで夜を駆ける若者の姿が描かれ、自由を求める強い願望が表現されています。しかし、尾崎本人は実際にはバイクを盗んだことはなく、この点については同級生も証言しています。
「卒業」
尾崎豊は、その独特な歌声と若者の視点に立った社会批評を込めた歌詞で、多くの人に支持されました。中でも1985年(昭和60年)リリースの「卒業」は、卒業という一つの節目を迎える若者たちの心情や、前途に対する不安と期待を繊細に描き出し、尾崎豊特有のセンシティブな世界観を体現した楽曲として知られています。動画サイトでは「『仕組まれた自由に誰も気づかない』という歌詞が心に響きました」「高校3年生です。同じ時代を生きたかった」と熱心なファンのコメントが溢れています。
「僕が僕であるために」
1983年(昭和58年)にリリースされた尾崎豊の「僕が僕であるために」は、不確かな世界で生きる若者に、自分を信じて強くあることの大切さを伝えるメッセージ性が特徴です。この曲は、miwaや眉村ちあきといった若い世代のアーティストにもカバーされ、歌い継がれています。
「十七の地図」
「十七歳の地図」は、1983年(昭和58年)にリリースされました。尾崎豊のデビューアルバムの表題曲にもなっています。高校在学中にリリースされた作品で、若者の気持ちを代弁する歌詞と情感豊かなメロディで、多くの若者たちに支持され、カリスマ的な存在となりました。「生きる気力をもらえる」「15歳の娘が『尾崎豊ってめちゃかっこよくない?』って言ってきた」と、その歌声は令和の今も若者の心を捉え続けています。
「Scrambling Rock’n’Roll」
「Scrambling Rock’n’Roll」は、1985年(昭和60年)のアルバム「回帰線」に収録された曲です。渋谷スクランブル交差点をイメージした曲で、「自由っていったいなんだい」「自由になりたくないかい」というフレーズは、ファンとの掛け合いになるのがライブでは定番でした。動画サイトでは「やっぱり何年経ってもすげぇ」「カッコイイの極み」と、絶賛のコメントが寄せられています。