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「ものまねは、別に似ている必要がなくてもいい」コロッケの “悟りの境地” がとても興味深い




 



もはや「ものまね界のレジェンド」と呼んで相応しいコロッケ(60)が、ネット版の『FLASH』のインタビューに応えていた



 



私は、コロッケの「ものまね観」「仕事観」「人生観」にものすごく共鳴を受けており、コロッケに関する記事は紙からネットまで極力チェックするよう、地味に心掛けていたりするのだけれど、今回の「コロッケ談」も例外に漏れず、じつに名言……いや“格言”のオン・パレードであった。とにかくは、ここcitrusでも、その一部を紹介しておこう。



 




「(最近は)若い人のものまねもやっていますが、テレビではなるべく大御所や先輩方をいじって、逃げ続けていきたい(笑)。振り返ると40年間、本当に恐れ多いことをしてきたと思います」



 



「ものまねって、事前に許可を求めたりすると、できなくなってしまう場合もあるんです。だから、どなたであっても事前の挨拶はせず、勝手にやっています。お会いしたら、ひたすら謝罪ですけど(笑)」



 



「(岩崎)宏美さんには、(ものまねされるのは)『嫌だけど、結婚して休んでいたあいだも、コロッケのものまねで、若い人が私の名前を知ってくれていた。それだけは感謝している』と言われました」



 



「エンタテインメントって観た瞬間だけじゃなく、その日の夜、1週間後、1年後も思い出して、家族の会話や笑顔のきっかけを作れるものだと思うんです。僕のものまねも、時間や世代を超えて、そんな存在になれば嬉しいですね」






 とくに最後のくだりなんかからは、コロッケの芸に対する熱量がひしひしと伝わってくる。しかし、そのいっぽうで「ものまねは事前に許可を求めると、できなくなってしまう場合もあるため、どんな大御所でも事前の挨拶はせず、勝手にやっている」といった冷徹なプロ意識、「謝罪を武器に逃げ続ける」したたかさも見え隠れする。 “熱い”のか “冷めている”のか、コロッケの正体は果たして……?



 



おそらく、そういった対立する矛盾を当たり前のように、逡巡することもなく自分のなかに同居させることができるお方なんだろう。そして、その境地こそが “悟り”なのかもしれない。



 



「ものまねをする際、別に似ている必要がなくてもいいと思っているんです。極論すれば、ただ似ているだけならご本人の歌を聴いたほうがよっぽど良いですから。似せるのは3割。あとの7割は別の生き物(笑)」



 



……とも、コロッケは過去に語っている。



 



たとえば、手塚治虫大先生が描いた鉄腕アトムの原画があったとする。それを極力忠実に真似るため、上からトレーシングペーパーを被せて、その線を丁寧になぞってみる。もちろんのこと、ほぼオリジナルに近い鉄腕アトムが完成するわけだが、「近い」だけで100%完璧に「同じ」ではない。「線をなぞる」という行為には、必ずコンマ数ミリかのズレが生じてくるからだ。また、その「ズレ」こそが「個性」だと、私は考える。



 



結局のところ、なにが言いたいのかといえば、つまりコロッケの芸とは「オリジナルの線を3割なぞって、あとの7割をデフォルメすること」によって、自身のオリジナリティへと昇華させているのである。そして、この「似せる」と「似せない」という矛盾の共存も、見方によっては、やはり一つの “悟り”と解釈できるのではなかろうか。


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