「ひきこもり」という表現が一般的になって約20年。
【ひきこもる人たち Vol.04】「働きたい」「人の役に立ちたい」とは思っている
年代を問わず全国に100万人以上いると言われているひきこもり。推定の数字だが、当事者たちは「倍はいるんじゃないの」と言っていたりもする。つまりそれほど多いということだ。
■ひきこもりの問題点
「8050問題」をご存じだろうか。80歳の親が50歳のひきこもりの子のめんどうをみているということだ。親はいつまでも生きていない。親が死んだらひきこもりはどうなるのか。これは、ひきこもりの子をもつ親たちの会で、いつも話し合われている問題だ。
率直にいえば、財産がある家庭なら後見人をつけたりして相続させれば子どもの生活は成り立つ。だが、問題なのは財産のない家庭だ。親が亡くなったら年金が打ち切られるから、たちどころに生活に困る。最終的には生活保護に頼らざるを得ない。もちろんそれがいけないわけではない。それも選択肢のひとつではある。
ただ、生きていく上で選択肢は多いほうがいい。それに一般的には「働いて自分の糧は自分で得るのが普通」である。だからひきこもりの問題を考える上で、いつも行き着く先は「就労」なのだ。どうやって彼らを就労へと導くか。
彼らの多くは、「働きたい」「人の役に立ちたい」という思いが強い。そしてそれができない自分を情けなく恥ずかしく思っている。
ある当事者が興味深いことを言っていた。
「外に出ていくためには、ひきこもっていた自分を否定しなくてはいけない。だけどひきこもっていたのは事実なので、自分を否定するのはつらい」
おそらくひきこもっていた「自分」を否定する必要はないのだ。その時期にはひきこもることが必要だったのだと考えることができれば、少しずつ脱することはできるようになる。
■ひきこもりを見る世間の目
ひきこもりから脱してアルバイトをしようとしたとき、履歴書を見ただけで面接さえしてもらえなかったと言う当事者は多い。履歴書に書けないブランクが長いからだ。あるいは短期間のアルバイトを繰り返しているだけで、「仕事ができない」と決めつけられてしまうからだ。
そんな世間の目が、社会とつながろうとしている彼らの気持ちを萎えさせる。また、アルバイトに行くようになったとしても、もともと彼らは繊細なので非常に気苦労が多いようだ。
ひきこもり経験者たち何人もから同じような話を聞いた。
たとえばどこかに仕事に行くようになったとする。上司とはなんとなく気が合わなそうだが、職場を失いたくないから嫌われないように気をつけている。そんなとき、上司に「今度、食事に行こう」と言われたとする。私なら「はいはい」と言いながら、その言葉は受け流す。ところが彼らは受け流すことができないのだ。
「食事に行くならいつとはっきり言ってほしい。そうでないと心の準備ができない。今日か明日かといつもそのことが心にひっかかっている。あげく、結局、数ヶ月たっても誘ってくれない。そうなると、この数ヶ月の間に自分が何か上司の気に入らないことをしてしまったのかと気に病んでしまう」
世間には「社交辞令」というものがあるのだが、彼らは社交辞令をそのまま受け止められないのだ。なぜなら自分は「心にもないこと」を言わないから。そして、多くはかつての職場や学校で人との関係においてイヤな思いをしているので、「また傷つけられるのではないか」という恐れを抱き、人間関係をスムーズに築けない。だからなにげなくかけられた誘いの言葉に苦しんでしまうのである。
ひきこもりの経験者が、みんな同様に考えるわけではない。ただ、私のような大雑把な人間からは考えられないような繊細さをもっている人も多いのだ。
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