元AKB48の高橋みなみ(28)が、かねてより交際していた15歳年上の一般男性との入籍を、ツーショット写真を添えSNSで発表。その報告時に着ていた「だんな」「よめ」と描かれたペアTシャツは、メディアでもそれなりに取り上げられたのは記憶に新しい。
そして、その“オリジナルTシャツ”をフックとし、「くらしとお金の経済メディア」をキャッチコピーとする『LIMO』が、『「よめ」Tシャツに思うこと。あなたは嫁派? 妻派?』なるタイトルのコラムを配信していた。おおよその内容は以下のとおりである。
「嫁」という呼び方には、戦前の家制度を感じさせるものがあります。家制度はもともと武士階級の家父長的な家のあり方を踏襲しているもの。生家ではない他人の家に嫁ぎ、男の子を生み育て、家を絶やさないようにするのが嫁の役割でした。
(中略)そのため、現代では呼称としての「嫁」に反対する人は少なくありません。「夫と結婚したのであって、『夫の家』や『夫の親』と結婚したわけではない」「嫁という言葉には“夫のもの”と、まるで所有されている感じが強い」という意見は多く見受けられます。
ちなみに、本コラムの筆者の周辺では、夫婦共働きの男性は奥さんのことを「妻」と呼び、専業主婦の奥さんを持つ男性は「嫁」と呼んでいる傾向があるという。たしかに、それは当たっているかもしれない。あと、批判を承知でバッサリ断言してしまえば、地方在住の男性のほうが東京に在住する男性より「嫁」派が圧倒的に多い印象もある(※とくに西側出身の男性は、いまだ亭主関白を好むマインドが根強いのか、ノロけるときも愚痴るときも他人に紹介するときも自分の奥さんを「嫁」と呼ぶことが多い…気がする?)。やはり、さまざまな価値観や夫婦のカタチが混在する大都会TOKIOでは、そこらへんの呼称に対する感性も、おのずとデリケイトに為らざるを得ないのだろう。
また筆者はコラム中で、こうも語っている。
「愛され女子」という言葉が婚活に関するコンテンツや女性誌で散見されるように、恋愛や結婚は「いかに男性から選ばれるか」という視点で語られることが多くあります。自分が主体的に選んだのではなく、相手に選ばれたという自負。または、誰かのものになるという安心感。それが結婚における幸せだという考え方が、「嫁」という呼称から透けて見えるように感じます。
「男性側より、むしろ女性側が『嫁』と呼ばれることを欲しているケースもある」という意味で、これはじつに鋭い指摘だと思う。今回、この「よめT」をプロデュース(ってほど大層なモノでもないのだけれどw)したのは、おそらく“だんな”ではなく、高橋みなみだと推測される。つまり、高橋がみずからの意志で積極的に「嫁」的な結婚のスタイルをチョイスしたわけだ。
そして、AKB48とは、握手会だとか総選挙だとか、とにかく「いかに男性から選ばれるか」といった“教育”を思春期の多感なころから徹底的に叩き込まれる歪なシステムを擁しているがゆえ、その中心メンバーであった高橋が、「愛され女子」の象徴として、「嫁に入りたがる」のも、よくよく考えれば無理もない。篠原麻里子・前田敦子・川栄李奈……ほか、AKBグループを卒業すると、たちまち結婚しちゃう“大物”がことのほか目立つのも、もしかすれば、“現役時代”に彼女らの根底へと植えつけられた「嫁願望」が少なからず影響しているのではなかろうか?