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【今週のアッパレ】内田也哉子が父・裕也のお別れの会で述べた謝辞が見事


トホホなニュースが多い世の中ですが、怒っていても疲れるだけ。罵倒より称賛を。イラッとよりニコッとを。ニュースで見つけた「アッパレ!」なフレーズにスポットを当て、そのまぶしい照り返しを堪能し、明るく楽しい気持ちになってしまいましょう。



 



出典:「内田裕也オフィシャルサイト」より


第3回



率直な言葉からにじむ愛情と尊敬



 



「Fuckin’Yuya Uchida! Don’t rest in peace!(安らかに眠るな) Just Rock’n Roll!!(それがロックンロールだ)」by内田也哉子



 



【3つのアッパレポイント】




  • 父親への複雑な思いを率直かつ的確に語った

  • あえての不謹慎な表現に愛情と尊敬を込めた

  • 間接的に内田裕也の偉大さを浮き上がらせた



 



人間の本当の値打ちは死んでからわかると言いますが、その人に対する本当の気持ちも、死んで初めてわかるのかもしれません。3月17日に79歳で死去した内田裕也のお別れの会、その名も「内田裕也Rock‘n Roll葬」が3日、東京の青山葬儀場で営まれました。



 



喪主は娘の内田也哉子。半年前には母親である樹木希林を見送り、続いて父親も見送って、さぞつらく寂しいことでしょう。エッセイストでもある彼女が会の最後に述べた謝辞は、さすがの表現力で、破天荒な父親に対する複雑な思いを率直に語りつつ、深い愛情と尊敬にあふれたじつにアッパレなものでした。印象的なフレーズをいくつか抜粋します。



 




私は正直、父をあまりよく知りません。「わかりえない」という言葉の方が正確かもしれません。(中略)私の知りうる裕也は、いつ噴火をするかわからない火山であり、それと同時に、溶岩の狭間で物ともせずに咲いた野花のように、清々しく無垢な存在でもありました。



 



率直に言えば、父が息を引き取り、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと、実感のない父と娘の物語が、はじまりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。



 



私が唯一、父から教わったことは、何だったのか? それは、たぶん、大げさに言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルイ奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。「これ以上、生きる上で何を望むんだ」。そう、聞こえてきます。




 



45年の結婚生活のうち43年別居していたという独特の関係だった両親についても、疑問をたくさん抱きつつ、「まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した2人。私という2人の証がここに立ち、また2人の遺伝子は次の時代へと流転していく……。この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです」といった言葉で、理解しようという姿勢を示しています。



 



ひときわ感動的だったのは、謝辞の最後の言葉。ロックな生き方を貫いた父親に向かって、娘は最大限の愛情と尊敬を込めつつ、こう語りかけます。



 




「Fuckin’Yuya Uchida! Don’t rest in peace! Just Rock’n Roll!!」




無粋を承知であえて訳すと「内田裕也のクソ野郎、安らかに眠るんじゃねえぞ。それがロックンロールってもんだろ!」といった感じでしょうか。娘にしか言えない、いや、内田裕也と樹木希林の娘だからこそ言えた、常識外れだけどもっともふさわしい感動的なフレーズです。内田裕也も空の上から、いい娘を持ったと喜んでいることでしょう。



 



生前の内田裕也は、直接の接点がない野次馬には面白がられてはいたものの、けっして評判のいい人ではありませんでした。きっと誤解されていた部分も多いだろうし、そもそも「世間の常識」に収まらないタイプだったのでしょう。娘の夫である本木雅弘も、父としての内田裕也像を問われて「自分のような体裁で固めまくった小さな男からすると、裕也さんも、先日亡くなった萩原健一さんも男の憧れ。面倒ごとを面倒がらずに切り込んでいく野性が自分にはない。遠くにいるような存在です」と語っています。



 



お別れの会には関係者950人、一般参列者750人が集まったとか。音楽界や芸能界の大物や重鎮が集結し、堺正章や映画監督の崔洋一らが内田の人となりを語りつつ、その素晴らしさを称えました。娘の謝辞と合わせて、会の盛り上がりっぷりは、内田裕也がいかに偉大な存在で、いかに素晴らしい人生を送ったかを雄弁に示していると言えるでしょう。



 



傍観者に過ぎない私たちも、内田也哉子の謝辞を通じて、内田裕也が内田裕也として生きてくれたことの意味をあらためて考えさせてもらいつつ、他人にはうかがい知れない独特だけど深い絆に結ばれた夫婦関係や親子関係について知ることができました。虎は死して皮を残すと言いますが、内田裕也は死してなおロックンロール魂を教えてくれています。



 



「ロック」とはきっと、「群れないこと」「流されないこと」「ブレないこと」であり「自分に嘘をつかずに胸を張って生きていく」ということ。内田裕也のような生き方はできないし、そこは見習わなくてもいい気もしますが、常に自分なりの「ロック」を探し続けたいものです。仕事や人間関係でズルイことやセコイことをしそうになったときは、「おいおい、ロックじゃないねえ」と自分に突っ込みを入れて、甘い誘惑をロックしましょう。



 



 



【今週の教訓】



品がよくないスラングも時と場合と使い方によっては美しい輝きを放つ


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