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電気グルーヴのメンバーで俳優のピエール瀧さんが、麻薬取締法違反の疑いで逮捕された。
放送中の大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』をはじめ、ドラマ、映画、バラエティ番組、CMに引っ張りだこだった瀧さん。電気グルーヴ結成30周年記念ライブツアーの真っ最中という、まさに絶頂の中での出来事だった。
薬物で逮捕されたミュージシャンと言えば2000年代以降ならASKAさんや岡村靖幸さんが思い起こされる。芸能界全体に目をやればもはや数え切れないほどだ。なぜ芸能界では薬物使用が後を絶たないのだろうか。
■セックス・ドラッグ・ロックンロール
多くの場合、芸能人と薬物の接点はヤクザや半グレなど反社会勢力との交流だと思う。
芸能人はそういう素質があったり必要に駆られたりして、広い交友関係を持つ。その一環で夜の盛り場にくり出し、実にいろいろな “怪しい人”に出会う。仲良くなった相手に薬物をすすめられ、「ちょっとためしに……」からのめり込む人は多いのではないか。一般人の数倍、数十倍の人数に出会うぶん、誘惑や落とし穴も多いということだ。
また、ロックやテクノ等、一部の音楽ジャンルでは昔から薬物使用を礼賛する傾向があった。
ビートルズやローリングストーンズなど数々の伝説的ミュージシャンがLSD、マリファナの影響下で創作に取り組んだことは有名だし、日本でも過去には「芸能プロダクションが所属ミュージシャンにインスピレーションを与えるために薬物を支給する」なんてこともあったそうだ。
「セックス・ドラッグ・ロックンロール」と表現されるこうした文化が、後の世代のミュージシャンや音楽ファンに与えた影響は大きい。薬物がアーティスティックでカッコいいという風潮を生んでいるわけだ。1990年代から隆盛した「レイブ」(ゲリラ的なテクノ、ハウスイベント)は参加者の薬物使用が問題となり、世界各国で取り締まりの対象になっている。
■オランダとは事情が違う
今回のような一件があるたび引き合いに出されるのが、薬物に寛容な国と言われるオランダ。
たしかにオランダでは現実主義で、自主自決を重んじるお国柄から大麻などのソフトドラッグを事実上解禁している。それがある程度、薬物の濫用から社会を守ることにつながっているのも事実だ。
しかし瀧さんが使用していたコカインはハードドラッグに分類され取り締まりの対象になっており、なによりオランダと日本では事情が違う。
日本で薬物を手に入れようとすると反社会勢力の活動に寄与してしまうことになるし、法律で禁止されている以上、逮捕されれば家族や友人はもちろん仕事の関係者に大きな迷惑をかける。僕は薬物を使うことの最大の罪はこの"迷惑"に尽きると思っている。
■『JIN−仁−』はもう地上波で観られない
今回の事件をうけ、「人と作品の評価は分けて考えるべき」という意見もSNSでは出ている。僕もまったく同感だ。
先日、俳優の新井浩文さんが強制性交容疑で逮捕されたことで、膨大な出演作がお蔵入りとなる可能性が出てきた。仮に瀧さんの出演作もそうなったとすれば……。いったいどれだけのドラマや映画が世の中から姿を消してしまうのか。
過去をさかのぼっても、『JIN−仁−』、『ひとつ屋根の下』、『季節はずれの海岸物語』など地上波で観られなくなった作品は数多い。配信、レンタルすらされないものもある。
犯罪者や前科者を公共から排除すべき、という意見は一理あるように見える。ただ、実際にそうすると音楽もテレビ、映画も過去の作品はほとんど観られなくなってしまう。いきすぎた感情主義、潔癖主義は社会の寛容さを失わせ、文化を破壊し、さらにはいったん罪を犯してしまった人の更生機会を奪うことにもつながる。
「罪を憎んで人を憎まず」とまでは言わないが、その作品まで憎むのはあまりに幼稚じゃないかと思うのだ。