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【中年名車図鑑|初代 日産プリメーラ】「欧州車っぽさ」で人気を博したスポーティセダン


国内外ともに業績を大きく伸ばしていた1980年代後半の日産自動車は、新たなプロジェクトの一環として国際戦略を担うミドルクラス車の全面刷新に鋭意乗り出す。目指したのは、優れた走行性能とパッケージングを高度にバランスさせた欧州志向の高性能セダンだった――。今回は“コンフォート・パッケージセダン”を謳って登場した初代プリメーラ(1990年~)の話題で一席。



 





【Vol.105 初代 日産プリメーラ】



 



「90年代には技術の世界一を目指す」という、いわゆる901運動で盛り上がっていた1980年代後半の日産自動車。ヒット作も相次いで生まれ、ユニークなパイクカー群やハイソカーのFY31型系セドリック・シーマ/グロリア・シーマ、さらにS13型系シルビアやZ32型系フェアレディZ、BNR32型スカイラインGT-Rなどのスポーツ車が販売成績を大いに伸ばしていた。



 



■新世代の国際戦略車の模索



 



そんな最中、社内ではオースター/スタンザに続く新たな国際戦略車が企画される。目指したのは、日本だけではなく海外市場でも通用するミドルクラスの高性能セダンだった。具体的には、機能美を追求したスタイル、居住性に優れた快適な室内空間、卓越した走行性能という3つの要素を高次元でバランスさせる戦略を打ち出した。



 





スタイルに関しては、低くて短めのフードに長いキャビン、そしてハイデッキのリアボディを構築し、同時に外面をフラッシュサーフェイス化して優れた空力特性(Cd値0.29)を実現する。ボディサイズは全長4400×全幅1695×全高1385㎜/ホイールベース2550mmに設定。各パーツのデザインも上品かつシックに仕上げた。一方で居住空間については、室内を前進させたキャビンフォワード・レイアウトの導入によってワンクラス上の室内長を確保し、加えて欧州のセダンを参考に設計した新形状のエルゴノミックシートを装着する。走行性能に関しては、足回りにスカイラインやフェアレディZなどで培ったマルチリンク式のフロントサスペンションと専用セッティングのパラレルリンクストラット式リアサスペンションを組み込んで卓越した操縦性および走行安定性を実現。動力源にはSR20DE型1998cc直列4気筒DOHC16V(150ps)とSR18Di型1838cc直列4気筒DOHC16V(110ps)という2機種の“PLASMA”SRエンジンを搭載し、トランスミッションに5速MTとOD付4速ATを設定した。駆動機構にはFFのほか、フルタイム4WDを用意(デビュー当初はFFのみ。4WDは8カ月後に追加)。エンジンサウンドにも気を使い、専用のS字型ストレートマフラーを装着するなどして高質で耳に心地いい音を目指した。



 





■“コンフォート・パッケージセダン”と称して市場デビュー



 



日産の新しい国際戦略車は、“コンフォート・パッケージセダン”というキャッチを冠して1990年2月に市場デビューを果たす。車名はスペイン語で“第一級”を意味する「プリメーラ(PRIMERA)」(P10型)を名乗った。ボディタイプは4ドアセダンのみの設定(1991年10月に英国工場産の5ドアハッチバックを追加)。グレードはSR20DEエンジン搭載の2.0Te/2.0Ts/2.0TmとSR18Diエンジン搭載の1.8Ci/1.8Cuという計5タイプで構成した。



 





上質な外観に、優れたパッケージングを内包した新世代セダンのプリメーラ。一方、市場で最も高く評価されたのは、固めの足回りと卓越したハンドリングだった。「欧州車と真っ向勝負ができる走りのセダン」「世界最高レベルのFF車」など、走りに関する様々な賛辞が贈られる。このキャラクターは従来のセダン購入層とは異なる顧客、いわゆる走り好きのユーザーの大注目を集め、販売成績は日産の予想以上の数字を記録した。



 





■マイナーチェンジで性格が変わった!?



 



走りの高性能セダンとして高い人気を獲得したプリメーラ。しかし、一部のジャーナリストやユーザーからは「街乗りでの乗り心地が固すぎる」という苦言が呈される。この意見を重視した開発陣はダンパーやブッシュ類のセッティング変更などを実施し、従来型よりもしなやかな方向に味つけした。





1992年9月、上級グレードにフルフレックスショックアブソーバーを装備するなど足回りのセッティングを見直し、同時に内外装の一部デザイン変更やSR18Di→SR18DEエンジン(125ps)への換装を実施したマイナーチェンジ版のプリメーラが発表される。熟成を果たした“第一級”セダン。だが、市場の見解とくにスポーティ派ユーザーの評価はいまひとつだった。当時はクルマ好きのあいだで固めの足回りが欧州車(とくにドイツ車)に近いと解釈されていたため、しなやかな乗り心地になったプリメーラをあまり歓迎しなかったのだ。走りの快適性は高まったものの、個性が薄まったプリメーラは、結果的に従来型ほどの販売成績は残せないままに推移する。その内にRVブームが巻き起こり、ユーザーの注目はクロカン4WDやステーションワゴンなどに移行。プリメーラの存在感は、さらに希薄になった。





スポーティ派ユーザーの潜在志向を捉え切れなかったマイナーチェンジ版の後期型プリメーラ。しかしそのぶん前期型の人気は非常に高く、1995年9月にフルモデルチェンジした後も、長い間“走りのセダン”としてファンから熱烈な支持を集めたのである。



 





■ツーリングカーレースでも大活躍した初代プリメーラ



 



最後にトピックをひとつ。スポーティに走れるセダンとして高い評価を獲得したP10プリメーラ。その素質を、モータースポーツ関係者が見逃すはずはなかった。市場デビューの翌年からは英国ツーリングカー選手権(BTCC)、1993年にはイタリアのスーパーツーリズモに参戦。1994年には、この年から始まった全日本ツーリングカー選手権(JTCC)にNISMOのカルソニック・プリメーラ(星野一義選手)とカストロール・プリメーラ(長谷見昌弘選手)がエントリーする。激しいバトルを演じながら、同年のJTCC最終戦インターTEC・ラウンド17ではカルソニック・プリメーラが優勝。さらに、1995年のインターTEC・ラウンド16でもカルソニック・プリメーラが勝利を飾った。

 


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