巷には、今日も味わい深いセンテンスがあふれている。そんな中から、大人として着目したい「大人センテンス」をピックアップ。あの手この手で大人の教訓を読み取ってみよう。
第118回
経験者ならではの強い説得力
「薬物というのは一時的にやめられても、やめ続けることは自分自身ではひじょうに難しいことだと思います。勇気を出して専門の病院にいってほしいなと思います」by清原和博
3つの大人ポイント
・苦しむ人の役に立てるならとすぐに参加を決めた
・彼が登壇したことでイベントに注目が集まった
・弱さをさらけ出すことで勇気の大切さを伝えた
久しぶりにその姿を見た清原和博氏は、少しふくよかになっているように見えました。血色もよさそうです。口調はとても落ち着いていて、一時期のような荒んだ印象はまったくありません。勝手な想像ですが、今の自分がやるべきことを懸命にやっているのでしょう。
3月6日、厚生労働省が開いた依存症の啓発イベント「誤解だらけの“依存症”in東京」に、サプライズゲストとして登壇した清原氏。覚せい剤取締法違反罪で有罪判決を受けてから、およそ3年ぶりに公の場に姿を見せ、当事者としての率直な思いを語りました。現在は、病院に通いながら依存症を克服するための治療に取り組んでいるとのこと。
司会を務めた国立精神・神経医療研究センター薬物依存研究部長の松本俊彦氏の「今日、勇敢にもこのイベントに登壇することを決意してくれた素晴らしいゲストがいます」という呼び込みを受けて、スーツ姿の清原氏が登場。松本氏とのトークセッションで、当事者としての率直な思いを語りました。松本氏は依存症対策や自殺対策の第一人者であり、この啓発イベントでも中心的な役割を果たしています。
今回のイベントのオファーに対して、出席を迷ったり躊躇したりする気持ちはなかったかと聞かれた清原氏は、まっすぐに前を向いて「少しでも自分のように苦しんでいる人のためになればと思い、すぐに決めました」と答えました。
その後、治療を受ける大きなきっかけはやはり逮捕だったこと、2週間に1回病院に通っていて、薬物について勉強することで「自分はこうだったんだ、ああだったんだ」と理解できていったので、すごく良かったと思ったなど、貴重な体験談を披露します。
※「誤解だらけの依存症」(厚生労働省)のページ。特別トークセッションで清原氏が登場する前と後の松本氏の解説も含めたフルバージョンの動画も見られます。
さらに、薬物への依存に悩んでいて「このままではいけない」と思いながらも行動を起こせなくて悩んでいる人へのメッセージを求められた清原氏は、「自分の体験なんですが」と前置きして、次のように話しました。
「薬物というのは一時的にやめられても、やめ続けることは自分自身ではひじょうに難しいことだと思います。勇気を出して専門の病院にいってほしいなと思います」
最後に「本人を支えている家族、友人へのメッセージは?」という質問に対しては、ひと言ひと言噛みしめるような口調で、こんなふうに語っています。
「自分はいろんな人に支援していただいて、支えられています。(中略)自分の身近な人に、正直にものを言えることが自分はいちばん変わったことだと思いますし、薬物を使っていた時はそれを使うために嘘をつき、自分をどんどん追い詰めていってしまい、ほとんど苦しみの日々でした。それが近くにいる人の理解があれば、今、自分は苦しいんだ、つらいんだと言える。その環境があることがいちばん大きいことだと思います」
トークセッションが終わったあと、松本氏は「依存症はやめ続けることで普通の人と同じ生活ができる。アメリカでは依存症になって、そこから回復した人は尊敬される。依存症から回復しやすい社会をみんなで作ってほしい」と訴えます。そして、今日清原氏が会場に来たことで、このままではいけないと思っている依存症の人が、勇気を出して治療を始めたり自助グループに行ってみようと思ったりするかもしれない、とも。
「誤解だらけの依存症」は2月に愛知と大阪でも行なわれていますが、失礼ながらそれほど話題になってはいません。今回は清原氏が登壇したことで、たくさんの媒体で記事になり、注目度は一気に高まりました。彼が表に出れば批判も出てくるのは間違いないだけに、かなりの勇気が必要だったでしょう。しかし、自分と同じように薬物依存で苦しむ人の役に立てるならと、彼はオファーを快諾しました。
ステージでは薬物依存とはどういうものか、いかに判断力を奪ってしまうか、経験したからこそ言える強い説得力にあふれた言葉を述べます。松本氏が言うように、清原氏が参加したことや発したメッセージがきっかけになって、治療を受けようと思った人もいるに違いありません。過去はさておき、この日の彼の行為は尊敬に値すると言っていいでしょう。
当事者ではない私たちの多くも、彼が出てこなかったらこのイベントを知ることはありませんでした。ふたりの対談や松本氏の話を聞いて、依存症のことを少しだけ知り少しだけ考えたのは、清原氏のおかげです。そして少しだけ知ったことで、いかに自分が依存症のことがわかっていなくて、いかにたくさん誤解しているか気づくことができました。
また同時に、私たちは彼との突然の再会によって「一度罪を犯した人と、どう対峙するか」という難しい問題を突き付けられたと言えるでしょう。ネット上には「よく人前に出てこられるな」とか「またやるに決まっている」といった言葉が飛び交いました。リンクした動画の中で松本氏が強く訴えている「依存症に対する誤解」をそのまんまなぞって、誤った知識や偏見をベースに清原氏を罵倒する人もいます。
彼の今後は、誰にもわかりません。自分自身の今後だってわかりません。「過去に罪を犯した」ということを理由にして、今は一生懸命に治療に取り組んでいる人に心ない言葉を投げつけるのは、はたして胸を張れる行為でしょうか。「言いたくなるのが人間のサガだ」といった言い訳に甘えてネット上で彼を非難するのは、かなり恥ずかしい行為ではないでしょうか。いや、もちろん好みも価値観も人それぞれですけど。
清原氏に限らず、とくに差支えないならなるべくあたたかい目を向けたほうが、他ならぬ自分自身があたたかい気持ちになれます。誰かを応援するのも、相手のためというより、そのほうが自分自身が幸せな気持ちになれるから。逆に、非難や罵倒に一生懸命になればなるほど、うっぷんが晴れるどころか、どんどん荒んだ気持になっていくでしょう。どうせエネルギーを使うなら、なるべく楽しい方向で有効に使ったほうがお得かと存じます。いや、大きなお世話ではありますけど。
【今週の大人の教訓】
他人を悪しざまに批判する行為は、本人が思っているほどカッコよくはない