歌手の小出美里さんが秋葉原駅前で路上ライブをしていたところ、男性2人組が購入したCDを本人の目の前で踏みつける、というトラブルが発生。その様子を撮影した動画がSNSで瞬く間に炎上した。
■“法律的なグレーさ”はミュージシャンも分かってる
彼らは
「路上ライブを許可なしでやっている方をやめさせたい。(中略)僕の中での正義感で動いている感じ」
と自己正当化しているが、Twitterアカウントに目を通すと、街をうろついては路上ミュージシャンを警察に通報して罵倒することの繰り返しだ。まっとうな正義感などないのは明らかだし、SNSでも大半が小出さんに同情的だ。
だが、こんな暴論を許してしまう理由の一つが、路上ミュージシャンの法律的なグレーさであることは間違いない。今、多くの路上ライブが私有地や公共の場所で許可なく行われている。次元の違う話だが、1999年に郷ひろみさんが渋谷ハチ公前に大型トレーラーを乗りつけて路上ライブをした際、事前許可を取っていなかったことで、関係者が道路交通法違反で書類送検された。
被害の有無にもよるが、路上ライブは道交法違反や住居侵入罪にあたる可能性がある。とはいえ、彼らはブログやSNSで路上ライブを告知する際、「警察に注意されたら中断します」などと断りを入れている場合が多い。“法律的なグレーさ”を認識している人がほとんどだ。
■ライブハウスに来るファンは少ない
それでも彼らが路上で活動しなければならない背景に、ミュージシャンの置かれた苦しい状況がある。
現在のような路上ミュージシャンのスタイルが日本で広がったのは、1990年代末頃だ。路上出身のゆずや19が売れたことで、雨後のタケノコのごとく日本全国に現れた。ギター1本で…という気軽さがウケたのか、最盛期には数メートルおきに並んで演奏する光景が見られたものの、ブームの沈静化や規制の強化で落ち着いた。
厳密に調査したわけではないが、今どきの路上ミュージシャンにド素人は少ない。アマチュアながら本格的な音楽活動をしている人、タレント事務所にも所属するセミプロのような人がメインだと感じる。当然、彼らの活動場所はあくまでライブハウス、ライブバー。しかし、ライブハウスを訪れる人は少数であり、新規ファンを獲得するには路上へ立つしかない。
SNSや動画配信も同時にやれば"やっている感"を演出できるし、投げ銭やグッズ販売でそれなりの収入を得ることも可能だ。夢を追うミュージシャンにとって、路上ライブは音楽活動の大事な一部だ。
■「演奏してもお金にならん」
僕は歌手として昔かたぎなところがあるので路上で演奏したことは一度もない。ただ、今のような季節に路上ミュージシャンを見かけると
「この寒いのに大変やなぁ……」
としばしば気の毒に思ってしまう。
大変なのは寒さだけではないだろう。今回の事件のように他者からの悪意にさらされるし、もっと大きな被害に遭うかもしれない。
まだプロになる前のバンド時代、大先輩だった「リンド&リンダース」の堀こうじさんに
「今の若い人は大変やな。演奏してもお金にならんから」
と言われたことがあるが、それと同じような視点を今僕も持つようになったわけだ。
1970年代まではミュージシャンはライブハウスや飲食店での演奏活動だけで十分生活できていた。時代が下り、今やミュージシャンはライブハウスで売上ノルマをこなし、路上で他者からの悪意や警察におびえながらライブし、SNSでプライバシーを切り売りし、さらにアルバイトまでしないと生きていけない。なり手が多すぎて足を引っ張りあうせいか、景気が悪くなったせいかわからないが、ミュージシャンの社会的地位はかくも無残なものになってしまったのだ。
■日本の街には音楽がなさすぎる
路上ライブは今後どのようにあるべきだろうか。
個人的には、規制緩和して路上演奏できる場所をもっと増やしていいと思う。政治的な意図もあり縮小傾向にあるようだが、昔、香港に行った際、路上といい飲食店といいホテルといい、ミュージシャンの活動場所の多さに驚かされた。香港にくらべ、日本の街には音楽が無さすぎる。イヤホンで個人の耳の中には流れているのかもしれないが、それではみんなで共感できる楽しさや感動が無い。
住宅地のど真ん中ならまだしも、路上ライブが実際なにかの迷惑を生んでいることは少ないだろう。ダメな者は排除すべきだが、ルール作りやオーディションをした上で一定の水準をクリアした者にはどんどん演奏してもらえばいいのだ。同時に、ライブハウスとは違う形で演奏を楽しめる飲食店や商業施設が増え、ミュージシャンが収入を得られる機会が増えれば、日本の音楽シーンはより良いものになるはずだ。
志と才能のあるミュージシャンが正々堂々と活動でき、労力に見合った収入が得られる社会になってほしい。路上ライブシーンは日本の音楽業界の縮図なのかもしれない。