大河ドラマの『いだてん』もはじまり、ボランティアも集まり、オリンピックに向けた気運が高まったところで、JOC(日本オリンピック委員会)の竹田会長が、招致に関する贈賄疑惑でケチをつけてしまいました。
ということで今回は、渦中の竹田会長――ではなく、彼のお父さん、その昔JOC会長を務めていた竹田恒徳(つねよし)さんの知られざるオリムピック噺をお届けします。
■保守憤死のリベラル発言
竹田恒徳さんは、若いころから「スポーツの宮様」の愛称で知られ、戦後に皇籍を離脱してからもスポーツ振興に取り組み、前回の東京オリンピック誘致にも尽力した方です。
そんな恒徳さんがJOC会長だった1968年。メキシコオリンピックから帰国してまもなく、朝日新聞のインタビューに答えてます。
「オリンピックの優勝者表彰式で、国旗、国歌を使うのは時代にそぐわない。廃止する時期にきているんじゃないかな」
「表彰式は選手を生んだ国家を表彰するものではなく、選手個人を表彰するものだ」
「最近のオリンピックは本来の姿が失われ、関心は自国の国旗を何本あげるか、金メダルを何個とるかといった方にばかり向いてしまった。そして世界の若人の集まる平和なオリンピックが国威発揚のために利用されている。悲しいことだ」
「国際オリンピック委員会委員の半数以上は[国旗国歌]廃止論者が多いので、近い将来は必ず廃止されるだろう」
保守のみなさんが聞いたら憤死しかねないリベラルな爆弾発言の数々。これが旧皇族である恒徳さんの口から発せられたという事実には、驚きを禁じ得ません。
■読売新聞が国旗国歌廃止に大賛成
もちろん恒徳さんは、気まぐれや酔狂でこんな発言をしたのではありません。そこに到るまでの経緯を説明しましょう。
全世界で5000万人以上もの死者を出した第二次世界大戦の苦い経験から、戦後のオリンピックは平和なスポーツの祭典として再出発したはずでした。しかし1950年代に入ると政治がらみのボイコットや脱退が起き、オリンピックを国威発揚の場として政治利用する動きも目立ちはじめます。
1956年のメルボルン大会では台湾の旗が掲げられたことに中国が激怒し、選手団を引き上げる騒動に発展。それを見かねてか、1957年のIOC総会ではオランダが国旗国歌廃止を提唱しています。
60年の総会ではブランデージ会長が、スポーツに国家的名誉が加味されるのはやむをえないが、それが政治的紛争のタネになるなら、将来的にはオリンピックでの国旗国歌使用をやめたい、と明言。
この発言には世界中で賛否の声があがります。いまとなっては意外ですが、朝日新聞が各国スポーツ関係者の賛否両論を公平に列挙したのに対し、読売新聞は廃止に大賛成。翌日の「よみうり寸評」で「まことに適切な提案といってよい」と絶賛。
中国・朝鮮・ベトナムも、政治に先んじて統一ができるのがスポーツの良さである、と熱弁をふるい、2日後の「編集手帳」でも「長いあいだのモヤモヤをすっと割りきったこころよさを感じさせた」と会長に惜しみない賛辞を送ってます。
■「国旗はとかく頭痛の種」
東京オリンピック前年の63年に恒徳さんは、廃止論を支持する理由を雑誌『世界の動き』に寄稿しています。
国際スポーツ大会の運営に携わっていると、国旗の掲げかたを間違えたり、町に飾られた国旗がいたずらで破かれたりするたびに各国から抗議を受けるし、それをきっかけにしばしば政治紛争に発展するので、「国旗はとかく頭痛の種」だったそうです。
そこでこの年に軽井沢で開かれたスケート世界選手権では、参加各国の了解を得た上で、表彰時以外は会場にも宿舎にも一切国旗掲揚をしないという大胆な試みを実行しました。大会は何のトラブルもなく成功裏に終了し、恒徳さんは、国際大会だからといって国旗を使わなくても立派にできる確信を得たのです。
誤解しないでいただきたいのですが、恒徳さん自身は、外国の試合で日本人が勝って日の丸が上がったときほど感激することはない、と国旗への強い思い入れを述べてます。でも世界平和のためならば、おのれの思想信条を引っ込めることも厭わないほどの強い意志で、国旗国歌廃止論を唱えていたのです。
■平和からどんどん遠ざかるオリンピック
1968年、メキシコでの五輪総会で廃止論が正式に議題とされましたが、惜しくも4票差で否決されてしまいます。冒頭に紹介したインタビューはその総会からの帰国後に行われたものなので、近い将来廃止論が通るはずだ、と恒徳さんは明るい希望を抱いていたわけです。
しかし、その後も国旗国歌廃止論は繰り返し審議されたものの、可決されることはありませんでした。
ミュンヘン大会ではテロ事件、モスクワ・LA大会ではボイコットの応酬と、オリンピックは平和からますます遠ざかります。政治紛争が一段落すると今度は商業主義に毒されて、五輪はカネとスキャンダルにまみれていくのでした。
スポーツと世界平和なんて、青臭い理想ではあります。でもその理想を実現しようとした竹田恒徳さんたちの想いは、世界中がキナ臭くなったいまこそ再考すべきなのかもしれません。