平成時代を当時の新語・流行語で振り返るコラムをお届けします。今回は「1995年(平成7年)」編です。
この年は、Windows95が発売。それまで一部のマニアックな人たちだけが使っていたパソコンやインターネットを一躍普及させました。また球界では野茂英雄投手が「トルネード投法」と「ドクターK」(三振奪取率が高いことから)の異名を引っさげ大リーグに移籍。現在まで続く日本人大リーガーの先駆的存在となりました。
■【阪神・淡路大震災】震度7の「激震」に揺れた日
1995年1月17日午前5時46分。明石海峡を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生。神戸市を中心とする阪神地域と淡路島の一部で震度7の揺れが観測されました。高速道路の高架が横倒しになるなど、建物の倒壊が多数発生。神戸市長田区では火災による被害も甚大でした。死者は6,434人。一連の災害を「阪神・淡路大震災」と呼びます。
今ではすっかり当たり前になった「ライフライン」や「帰宅困難者」といった言葉が普及したのは、実はこの震災以降のこと。いずれの概念とも、都市においてより脆弱さが増す点で共通します。
いっぽうこの震災では、被災者支援のため現地を訪れるボランティアが多くいたことも話題に。この年は後に「ボランティア元年」とも呼ばれています。また社会貢献活動を行う非営利法人である「NPO法人」を法制化する契機にもなりました。
神戸市を本拠地としていたプロ野球のオリックス・ブルーウェーブ(当時)は、選手のユニフォームに「がんばろうKOBE」という励ましの言葉を縫い付けて被災者を応援。見事にリーグ優勝を果たしました。2011年の東日本大震災でも「がんばろう日本」という言葉が話題になりましたが、この言葉から神戸の記憶を思い出した人も多かったかもしれません。
■【地下鉄サリン事件】無差別テロから注目を集めた独特のオウム用語
3月20日の朝、東京・営団地下鉄(当時)の霞が関駅付近の列車内で、オウム真理教の信者が神経中毒剤「サリン」を散布。13名が死亡、約6,300人が負傷する事件が起こりました。いわゆる「地下鉄サリン事件」です。今年、教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)ら7名について、死刑が執行されたことも記憶に新しいところです。
事件を契機に話題になったのがオウム用語の数々。例えば彼らは、厚生省や科学技術省など、国家を真似た組織名を用いていました。また教団施設名である「サティアン」(梵語で真理の意)、入信の儀式を意味する「イニシエーション」、修行で唱える呪文を意味する「マントラ」、教祖が上級信者に与える宗教名を意味する「ホーリーネーム」など独特の表現も使っていました。とりわけ魂の救済を意味する「ポア(する)」という言葉は、実際には「殺害テロの指示」を意味する隠語だったとされます。
いっぽう当時教団の広報であった上祐史浩氏(じょうゆう・ふみひろ=現・ひかりの輪代表)は、メディア出演時の詭弁・強弁ぶりが話題に。日刊ゲンダイが「ああ言えば上祐」と表現し、これが流行語化しています。「カルト」という言葉が、カルトムービーなどのサブカル的意味だけでなく、狂信的宗教の意味として広く認識されたのも、この事件から後のことでした。
※ほかにもこんな新語が……
新語・流行語:無党派(都知事・府知事の支持層を指して)、 公園デビュー、変わらなきゃ(日産のCM/イチロー選手)、わたし脱いでもスゴイんです(TBCのCM/北浦共笑)、勉強しまっせ引越のサカイ(サカイ引越センターのCM/放映開始は89年)
商品・サービス・コンテンツ:パラサイト・イヴ(小説) 、ソフィーの世界(小説)、小室哲哉プロデュース曲(「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」が210万枚のヒットになるなど)
■【まとめ】社会の閉塞感が一気に高まった平成の転換点
平成の歴史はバブルの熱狂と崩壊から始まりました。とはいえ90年代前半の世相は、まだ「バブルの浮かれた雰囲気」を引きずっていたのです。その雰囲気がガラっと変わったのが95年。未曾有の災害とテロに見舞われたことにより、社会の閉塞感が一気に高まることになりました。現在も続く社会の沈鬱な雰囲気にもし「始まり」があったとするなら、それは「95年」であったと筆者は思っています。平成史の大きな転換点でした。