人の物を盗んではいけない。それはF1でも同じだ。盗んではいけないのは形ある物だけでなく、形のないモノ、すなわち技術情報にもあてはまる。
F1では人の入れ替わりが激しい(欧米では一般企業でもそうだろう)。昨年まであっちのチームにいたエンジニアやメカニックが、次の年はこっちにいるなどというケースはざらだ。例えば、エイドリアン・ニューウェイというレーシングカーデザイナーはマーチ(レイトンハウス)でF1でのキャリアをスタートし、ウイリアムズ~マクラーレン~レッドブルと渡り歩いている。
重要な技術情報にアクセスできる立場にあった人物が別のチームに移る場合、その人が技術情報をデータとして持ち出さなくても、頭の中に最新の情報が入っている。だから、ある程度の大物がチームを移籍する場合は、機密情報が人と一緒に移動しないよう、長期休暇をとらせるのが慣例になっている。
この休暇を「ガーデニング休暇」と呼んだりする。実際には強制的に休まされているワケで、「庭いじりくらいしかすることがない」という皮肉が込められている。庭いじりがしたくて休んでいるわけではない。
■チーフメカニックが最新の技術情報を流した
2007年、人がチームを移ることによって情報が移動するのではなく、あるチームから別のチームに意図的に機密情報が渡された大事件が起きた。「スパイゲート」と呼ばれる、F1の歴史に残る大スキャンダルである。情報を渡したのはフェラーリ。受け取ったのはマクラーレンだ。どちらも名門であり、だからスキャンダルになった。
フェラーリで情報を渡したのは、チーフメカニックを務めていたナイジェル・ステップニーというイギリス人だった。マクラーレンで情報を受け取ったのは、チーフデザイナーのマイク・コフランで、やはりイギリス人である。ふたりは1980年代の一時期をロータスで過ごした。つまり、同僚だった。
ステップニーは2007年型フェラーリ(つまり当時最新である)の技術情報が記された数百ページにもおよぶ書類をコフランに手渡した。何を思ったか、コフランはその書類を印刷業者に持ち込んだ。その印刷業者がフェラーリに知らせたことで情報漏洩が発覚したと伝わる。フェラーリがアクションを起こしたことで、事件になった。
2007年7月上旬にフェラーリが法的なアクションを起こすと、公聴会やら何やらが頻繁に開かれ、結論が導き出されるまでに2ヵ月を費やした。もちろん、シーズンの戦いと並行しながらである。
フェラーリから流れた技術情報がマクラーレンの2007年型マシンに反映された証拠は見つからなかったが、ルールを統括するFIA(国際自動車連盟)は事態を重く見、この年マクラーレンが獲得したコンストラクターズポイントをすべて剥奪した。そうでなければフェラーリを僅差で抑えてチャンピオンになっていた。さらに、1億ドル(当時のレートで約120億円)の罰金を科した。
さらに、マクラーレンは2008年に参戦するマシンの技術情報を事前にFIAに提出するよう求められた。フェラーリから入手した情報を生かしていないかどうか、確認するためである。そのうえで、マクラーレンを2008年シーズンに参戦させるかどうか判断するとした。結果的に参戦は認められ、この年、デビュー2年目をマクラーレンで過ごしたルイス・ハミルトンが史上最年少(当時)でチャンピオンになった。
■当事者のひとりは55歳で謎の死を遂げた
フェラーリのステップニーもマクラーレンのコフランもチームを追われた。ステップニーは機密情報をライバルチームに漏らしただけでなく、所属チームで破壊工作を試みた罪も問われた。コフランは2011年にウイリアムズのチーフエンジニアとしてF1に復帰すると、2013年シーズン途中でチームを離れた(成績不振の責任を取らされた模様)。
ステップニーは2010年にレース界に復帰。2012年はJRMというイギリスのチームのチーフエンジニア兼チームマネージャーとして、ル・マン24時間レースへの参戦を果たした。筆者は車両の開発状況を聞こうとル・マンでステップニーにインタビューをしたが(もちろん、スパイゲートの件には一切触れていない)、温厚なその表情からは一切犯罪者のニオイは感じられなかった。むしろ、陽気でフランクな人物という印象を受けた。
インタビューが終わるとステップニーは、「実はオレ、ル・マン初めてなんだよ。慣れなくて落ち着かないな」と茶目っ気たっぷりに語ったのを覚えている。
2014年5月2日、ステップニーはイギリスの高速道路で路肩にバンを止めて車道に降りたところ(なぜそうしたのか、理由は不明)、トラックに轢かれて死亡した。55歳だった。