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“文章リテラシー”が低下する時代に、プロライターが考える「受け手側の誤読を極力防ぐ」心構え




Twitterのツイートを集めて公開できるウェブサービス『Togetter』に、『Twitterには「文字は分かるが文は読めない」という人が一定数存在する話』なるタイトルの“まとめ”が掲載されていた。問題提起として冒頭にあったツイートの全文は、以下のとおりである。



 




例えば「今週は暑かったのでうちの会社はサンダル出勤もOKだった」という呟きが拡散されると



「何故今週だけOKなんだ?」



「サンダル無い人は来るなって?」]



「暑いならともかく基本はNGだろ」



といった“文字は分かるが文は読めない”人が必ずいて、国語力が無いと無駄に苦労するよなと感じます…




 




更にやばいケースだと己の内面世界で一人相撲してそうな



「サンダル履くなんて恥ずかしい奴だな、本当に日本人?」



「自分はサンダルOKな会社を見たことないです、嘘松」



「サンダル嫌いなので呟くのやめてもらえます?」



とかも湧いて来て、早く幸せになって下さい…としか言えないです…




 



そして、↑を私に教えてくださったcitrus編集長殿が、私にこんなご質問をなされてきた。



 



「紙媒体>ウェブ>SNS」とユーザーの文脈理解力が下がってきている気がします。ユーザーが文意を読まない、読めないことで、ゴメスさんも文意と違うところで叩かれたり中傷されたり、ということがあるかと思います。昨今の“文章リテラシー”の低下に、ゴメスさんは憂えていませんか?



 



ここは「むっちゃ憂えてますよ〜」的な回答をお返しするのが、溢れんばかりのサービス精神なのかもしれないが、申し訳ない! 私はまったく憂えておりませんm(_ _)m。



 



まず、SNSってヤツは、“文章リテラシー”云々を抜きにした部分で“全員参加”が許されている、すなわち「正確な意味合いではなく、なんとなくのニュアンスを伝える」ツールゆえ(※とくにTwitterは文字数制限があるので、分かりづらい文章になりやすい。総じて文章とは文字量を増やすより、削ってまとめるほうが難易度が高い)、そこになにかを発信したからには、どんなに国語力に乏しいヒトによるトンチンカンなツッコミが跳ね返ってきても、それは「覚悟の上」であるべき。発信者側ができることは「せめて受け手側の誤読を極力防げるよう、せいぜい丁寧な文章を書く」くらいであろう。たとえば、前出の発信者の場合なら、仮に他の文字を削ってでも、



 



「国語力が無いと無駄に苦労するよなと感じます…」→「読む側の国語力が無いとこちらも無駄に苦労するよなと感じます…」



 



……といった具合に、だ。



 



もちろん、こういった「受け手側の誤読を極力防ぐ」心構えが、私らみたいにお金をいただいてネット上で原稿を公開するプロのライターにとって、より必須であるのは言うまでもない。自分と受け手側との主義主張のズレを批難されるんだったらまだしも、自分が書いた文章の意図をユーザーに読み取ってもらえず、文意と違ったところで叩かれたり中傷されてしまったら最後、その時点で負け──「プロとして失格」なのであり、それに逆ギレしているヒマがあれば、おのれの文章力の無さを猛省せねばならないのである。



 



最後に。私は、昨今のネット住民たちの文章リテラシーが低下しているとは、さほど思わない。たしかに「熟読力」は低下しているのかもしれないが、そのぶん文全体をイメージで捉える「速読力」はむしろアップしてきているのではなかろうか?


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