スマートフォンやSNSを通じて常に情報に触れる生活が当たり前になるなか、意識的に何もしない時間や、気持ちを切り替えるための習慣に関心を持つ人もいる。
そうした暮らしの変化の中で、仏事などで使うものという印象も強かった「お香」を、ホームフレグランスや日常の香りとして取り入れる動きも見られる。
一方、日本には古くから香りを楽しむ文化があり、現在のお香人気を単なる「癒やし」や「ウェルビーイング」の流行だけで説明することはできない。日本の香り文化を現代の生活に伝える活動を行うProject Felicia代表のHiro Nakayama氏に、伝統的な香りを今の暮らしへ取り入れる意味について聞いた。
「癒やし」だけでは語れない、日本のお香文化
香水やディフューザー、アロマなど、暮らしの中で香りを楽しむ方法は多様になっている。その選択肢の一つとして、お香に触れる人も増えているとNakayama氏は感じているという。
こうした動きについて同氏は、お香を知る入り口が広がること自体は前向きに捉えている。一方で、「癒やし」や「ウェルビーイング」といった言葉だけで説明されることには違和感もあると話す。
日本では古くから、宗教的な用途だけではなく、季節や暮らしの中で香りを楽しむ文化が育まれてきた。
お香を箱から取り出し、火をつけ、煙や香りの変化を感じる。その一連の動作も含めて、お香を楽しむ時間だというのが同氏の考えだ。デジタル機器で瞬時に操作できるものが増えたからこそ、こうした手間のかかる行為を生活の区切りとして捉える人がいても不思議ではない。
ただし、伝統文化を現代に広げる際には、分かりやすさとのバランスも必要になる。
新しい消費者に伝えるために現代的な言葉を使えば理解されやすくなる一方、それによって長い歴史や文化的背景が単純化される可能性もある。
平安時代の香りを「再現」するのではなく再解釈する
Project Feliciaが展開するインセンスブランド「Bridge and Blend」では、平安時代に用いられた「六種の薫物」から着想を得た商品を手掛けている。
ただし、当時の香りをそのまま再現することを目的としているわけではない。Nakayama氏によれば、古くから続いてきた香りを調合する考え方を取り入れながら、現代の生活の中で使いやすい形に置き換えることを重視しているという。
同ブランドでは、香木や植物などの天然香原料を粉末にし、水と合わせ、日本の職人が製造する方法を採用している。複数の香原料を組み合わせることで、一つの香りだけが際立つのではなく、時間の経過によって感じ方が変わるような香りを目指しているという。ただし、天然原料や職人による生産を続ける場合、原料の安定調達や技術継承という問題も避けられない。
自然由来の原料は供給量や価格が一定とは限らず、伝統的な製法を担う人材を継続的に確保する必要もある。
伝統的な素材や製法を商品価値として打ち出すほど、それを将来にわたって維持できる仕組みも同時に問われる。
香りの価値はどこまで言葉にできるのか

香りの価値はどこまで言葉にできるのか
香りは、視覚や言葉とは異なり、人によって受け止め方が大きく異なる。同社の商品を体験した人からは、「落ち着く」「懐かしい」といった感想が寄せられるという。
日本人の場合、寺院や古い家屋など、過去に嗅いだ香りと結びつけて語る人もいる。一方、日本とは異なる文化的背景を持つ人からも、似たような感覚的な反応があるとNakayama氏は話す。ただし、こうした反応はあくまで個々人の感想であり、特定の効果や効能を示すものではない。
同氏も、お香の用途や使うタイミングを一つに決めてはいないという。
朝に使う人もいれば、仕事を始める前や一日の終わりに使う人もいる。どの場面で使うかは、生活者自身が決めるという考え方だ。香りを商品として扱う難しさは、こうした感覚的な価値をどのように伝えるかにある。
「心地よい」「懐かしい」といった感覚は共有できることもある一方、万人に同じように伝わるわけではない。
特に海外市場では、日本人が当然のように持っている文化的な背景が共有されていないため、商品と一緒に文化的な文脈をどう説明するかも重要になる。
「Zen」や「Mindfulness」に置き換えるだけでいいのか

日本文化を海外で紹介する際、「Zen」や「Mindfulness」など、すでに知られている言葉を使って説明することがある。分かりやすさという点では有効だが、それだけでは日本のお香文化が持つ背景を十分に伝えられない可能性もある。
Nakayama氏は、伝統文化をそのまま保存するのでも、現代の流行に合わせて単純化するのでもなく、現在の生活者に理解できる形へ「翻訳」することを重視しているという。
例えば、千年前の調合をそのまま再現するのではなく、現代の住宅環境や生活習慣に合う香りとして組み直すことも、その一つだ。また同社では、天然香原料や自然環境との関係を意識し、売上の一部を自然環境保護活動へ寄付しているという。
もっとも、こうした活動も含めてブランドの価値として伝えるのであれば、理念だけでなく、商品として継続的に選ばれることが必要になる。
伝統文化を残すためにも、事業として成立しなければ継続は難しい。
伝統文化を「今の暮らし」に残すには
お香をめぐる現在の動きは、古い文化をそのまま復活させるというよりも、現代の暮らしに合わせて意味を捉え直す動きと見ることができる。
効率や即時性が重視される生活の中で、あえて火をつけ、香りが広がるのを待つ。そうした時間そのものに価値を感じる人がいることも、お香が再び注目される背景の一つなのかもしれない。
一方で、伝統文化を現代向けに分かりやすく伝えようとするほど、歴史的な背景や本来の意味が削ぎ落とされる可能性もある。古い文化を守ることと、新しい消費者に届けること。その間をどのようにつなぐのか。
Project Feliciaの取り組みは、日本の香り文化をそのまま保存するのではなく、現代の生活へどう「翻訳」するかを考える一つの事例といえる。
今後、お香が一時的なライフスタイルトレンドにとどまるのか、それとも日常の香りとして新しい位置づけを得るのか。その行方は、文化的な背景と現代の使い方をどこまで両立できるかにかかっていそうだ。
【取材協力】
Project Felicia
代表 Hiro Nakayama
https://www.project-felicia.com
