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【帰ってきたアイドル親衛隊】ビジュアルも実力もあったのに時代の波に飲み込まれ消えてしまった相川恵里


 よく1980年代はアイドルブームだったと80年代全体をひっくるめて言われることが多いが、80年代後半頃には、これまで当たり前のように放送していた歌番組やアイドルイベントなどが激減してしまい、トップアイドルと言われる存在が皆無になってしまった。この頃をアイドル氷河期と呼ぶようになり、これまでのアイドルブームが嘘のように感じた。

 そんな時代でも光り輝くアイドルは多くいた。個人的に気になったのが、美形の大人っぽい雰囲気を持った相川恵里である。相川は、87年に行われた『第2回ロッテCMアイドルは君だ!』で見事グランプリを獲得。千堂あきほや島崎和歌子なども同コンテストに参加をしたことがキッカケで、大きく飛躍した。

 自分としては、まさか相川がグランプリを獲るなんて予想すらしていなかった。同コンテストに出場する前に、私は出会っていたのである。たまたまTBSで別のアイドルの出待ちをしている時に、デビュー前の相川がいきなり現れたのである。とりあえず側に近づいて写真だけは撮らせてもらおうと必死になっていたが、そんなに必死にならなくても快く撮影をOKしてくれて、しかもゆっくり話しまでできてしまった。

 そういう経緯もあって、同コンテストで優勝した時は、応援しようと思っていたのだが、とにかく当時は現場が少なく、あったところで自分のスケジュールが合わないなんてことばかりだった。相川は、88年に『純愛カウントダウン』でデビューを果たすのだが、正直言ってあまり売れなかった。しかし2枚目のシングル『ABコンプレックス』が、あくまでもマニアの枠だったが、注目されるようになり、88年の『日本レコード大賞』で新人賞を獲得した。とりあえずだが、順調にシングルを発売して、6枚目のシングル『約束』は、90年春の第62回選抜高等学校野球大会の入場曲にも選ばれたのだ。しかしこの『約束』は、相川にとって最後のシングルとなってしまい、2年弱で6枚のシングルを出したところで、アイドル活動にピリオドを打つことになった。

 ビジュアルも実力もあったのに、時代の波に飲み込まれてしまい、アイドルから一線を引くような形で、リタイアしてしまったが、デビュー当時から平行して女優をやっていたこともあり、本格的に女優活動を展開するようになった。デビュー直後からレギュラー出演していた『さすらい刑事旅情編』では、88年のスタートから最終回の1995年までレギュラーとして出演。しかし番組が終わってから女優活動も無くなり、いよいよ芸能界からフェイドアウトしてしまった。

 実はその頃に、同い年でもあるプロ野球・東京ヤクルトスワローズの押尾健一選手と交際して結婚していたのだ。申し訳ないが、無名でほとんど実績も無い選手なので、この結婚に驚いたプロ野球ファンも多くいた。しかし現在は一軍戦略コーチ兼スコアラーとして真中監督の右腕的存在になり、チームには無くてはならない存在になっている。

 旦那のことはプロ野球シーズン目前ということもあって、いつでも見ることができると思うが、現在は主婦になってしまった相川を見ることはできない。もしかしたらシーズンが始まって神宮球場に行けば、相川に会える可能性もあるかもしれない。そんな奇跡を信じて、今シーズンは神宮球場に通ってみる?不純な動機ですけど、いつかは相川と再会したいのが私の本音である。できることならプロ野球妻としての顔ではなく、アイドル歌手・相川恵里に会ってみたい。とりあえず一曲だけでもいいから聞かせて欲しい。そんな日を待ってみたいと思う。

(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)

【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。

【記事提供:リアルライブ】
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