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小林旭「いつまでもマイトガイさ」銀幕デビュー70周年 美空ひばりとの結婚離婚など激動人生


【写真】コンサートの前という多忙の中、インタビューに応じ笑顔を見せる小林旭(撮影・たえ見朱実)

俳優で歌手の小林旭(87)が、銀幕デビュー70周年を迎えた。「渡り鳥シリーズ」など数々の映画に主演し、石原裕次郎らと昭和の映画全盛期を支えた。歌手としても「昔の名前で出ています」「熱き心に」など多くのヒットを飛ばした。国民的歌姫の美空ひばりとの結婚、離婚や多額の借金など、公私に激動も経験した。それでも屈することなく突き進んできた。11月3日には米寿(88歳)を迎え、翌4日には70周年記念曲を発表する。マイトガイは永久不滅である。(敬称略)【笹森文彦】

★横浜→銀座→六本木→新宿

小林旭は、最後の銀幕の大スターだ。1956年(昭31)に17歳で第3期日活ニューフェイスに合格し、同年「飢える魂」でデビューした。それから70年の歳月が流れた。

「いつの間にか(70周年が)来ちゃったね。そんなにやれると思っていなかったけど、振り返ってみると、たいして長くないんだよね。つい昨日のことみたいに、いろいろ思い出があるよ」

昭和30年代、日活は若いGuy(ガイ=男)のアクション路線で躍進した。石原裕次郎=タフガイ、赤木圭一郎=クールガイ、和田浩治=やんちゃガイ、二谷英明=ダンプガイ。小林は映画シリーズ「銀座旋風児(ギンザ・マイトガイ)」から、マイトガイが代名詞になった。ダイナマイトのように爆発する強烈な男という意味だ。

“シリーズ男”と呼ばれるほど、数々の映画に主演した。「渡り鳥シリーズ」「流れ者シリーズ」「暴れん坊シリーズ」「賭博師(ギャンブラー)シリーズ」などなど。1年間に13本の映画に主演した。20日に1本の割合で公開された計算だ。

「面白かったな。13本目の台本を持って年が暮れた(笑い)。そのころはロケが1週間から10日。その後、日活撮影所で4、5日セットで撮影する。その間に、次の作品の衣装や小道具合わせもやる。セット撮影の終了と同時に、夜汽車に乗って台本を読みながら、次のロケ地に行くという段取りだった」

それでも、わずかな暇を逃さず朝まで遊んだ。横浜のナイトクラブで歌い踊り、車を飛ばして銀座、六本木、最後が新宿だった。

「そのまま撮影所に行っちゃう。空き時間にこてんと寝る。朝方の新宿西口には、思い出がいっぱいありますよ(笑い)」

★億単位の負債背負って倒産

映画は当時、庶民の最大の娯楽だった。

「映画館の前に、主役のでっかい切り出し看板(高さ10メートル前後の手描きの絵看板)が出た。裕ちゃん、勝(新太郎)さん、(市川)雷蔵さん、鶴田浩二さんとかね。ある時、鶴田さんの行きつけの食堂に入ったら、本人がいて『誰だ、小林か。人の畑(映画)荒らすんじゃねえぞ!』って。いい時代だったね」

その後も高倉健、若山富三郎、菅原文太ら銀幕のスターが続々と活躍した。

「何人ものキャラクターを演じた。際限なく台本ができあがってきて、どう演じ分けるか考えてる暇なんてなかった」

そんな時代の1962年(昭37)11月5日に、歌手美空ひばりと結婚した。小林24歳、ひばり25歳。スター同士の結婚は大きな話題となったが、2年で離婚した。小林が、国民的歌姫を人々のもとへ返した形だった。

「結婚して(ひばりを)自分の手元に置いた時、裕次郎と通じるものがあった。自由奔放さだ。天下を取る人は自由奔放に、自分勝手に動き回れる度胸、人間性がある。それが大スターの要素じゃないかな」

小林自身も、自由奔放に動き回る度胸があった。テレビの隆盛と映画産業の衰退を見越し、ゴルフ場開発の会社を設立。しかし、億単位の負債を背負い倒産した。

「性分なんだろうな。やりたいと思ったら、絶対に後に引かなくなる。思い込んだら一筋というか、それが俺なんだな」

屈しなかった。窮地を救ったのが、歌だった。

★「昔の名前で-」が大ヒット

母は三味線を伴奏にうたう小唄・端唄の師匠だった。小林は児童合唱団に入り、ボーイソプラノ(澄んだ高い音域)で評価された。

「(日活の)エキストラ時代に、日本コロムビアの人が俺の鼻歌を聴いてスカウトされた。『コロムビアってひばりさんのいるところですか!』って、のんきな感じだった」

58年に主演映画「女を忘れろ」の同名主題歌で歌手デビュー。以後、独特の高音で「ダイナマイトが百五十屯」「ギターを持った渡り鳥」「アキラのズンドコ節」「自動車ショー歌」「北へ」「熱き心に」など次々とヒットした。

中でも75年1月発売の「昔の名前で出ています」(作詞星野哲郎、作曲叶弦大)は別格だった。

小林はゴルフ場開発に失敗し、76年10月に倒産会見を行った。それ以降、借金返済のために、地道にキャバレー回り、地方営業を続けた。年が明けると、全国のレコード店にバックオーダーが殺到し始めた。

「あれはすごかったね。毎日5000ぐらい、ずっとだ。記者会見した後から、急激に売れるようになった。あの売り上げはものの見事だったね」

77年末の第10回全日本有線放送大賞を獲得。NHK紅白歌合戦にも初出場した。これが追い風となり、借金を返済した。

11月3日に米寿(88歳)を迎える。翌4日には両A面の70周年記念曲「おとこの慕情」(作詞原文彦)「今さらながらのマイトガイ」(同水木れいじ)を発表する。作曲はいずれも叶弦大である。

前者は大人の悲恋で、「昔の名前-」をほうふつとさせる秀作。後者は時代が変わっても「もう一丁やるか」の意気込みを、軽快なアキラ節で歌い上げる。

「『昔の名前』もそうだけど、いいメロディーっていうのはふとした瞬間に口をついて出てくる。『おとこの慕情』にもそれがある。俺は歌うことが楽しい。聴いてくれる人が懐かしんで、涙を流してくれるのはありがたいと思う」

★ずば抜けた個性ない映画界

一方で、今の映画界には厳しい。

「寂しいよね。ずば抜けて個性のある人がいない。みんなどんぐりの背比べだ。鶴田浩二、石原裕次郎、高倉健には絶対的な個性があった。スターというのは手出しのできない、きらびやかな星なんだ」

最後にマイトガイのこれからを聞いた。

「どこまでやれるか分からないけど、終わりは自然に来るだろうから、それまではとにかく楽しんでいきたいね。いつまでもマイトガイさ」

▼70周年記念曲を作曲した叶弦大(90)

(歌手だった)私の作曲家デビュー作が、旭さんの「自動車ショー歌」(64年、作詞星野哲郎)でした。その後も多くの作品をつくらせていただき、「昔の名前で出ています」が200万枚以上のヒット曲になりました。70周年記念の2作品は、なるほど旭さんにといえる素晴らしい歌詞です。旭さんの歌唱力は、生まれ持ったものなのか、70年いまだに衰えていません。素晴らしい70周年を期待したいものです。

◆小林旭(こばやし・あきら)

本名同じ。1938年(昭13)11月3日、東京生まれ。父は映画の照明技師。4歳で劇団東童入り。高校時代から日活のエキストラを経験。明大文学部中退。日活作品以外に、東映の「仁義なき戦い」シリーズ、「青春の門」「多羅尾伴内」などに出演。89年に「春来る鬼」(松竹)で映画初監督。NHK紅白歌合戦は7回出場。ゴルフはプロ級の腕前でシニアトーナメントにも出場した。67年に俳優青山京子(20年に84歳で死去)と結婚、子供は一男一女。身長180センチ、血液型AB。

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