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【悼む】ケイダッシュ川村龍夫会長逝く「読んでないと文句言えないだろう」記事をしっかり…感謝


川村龍夫代表取締役会長(2020年1月撮影)

俳優堺正章(78)や高橋克典(60)らが所属する大手芸能事務所「ケイダッシュ」の川村龍夫代表取締役会長が30日、出張先で亡くなったことを同社が発表した。84歳だった。

  ◇  ◇  ◇   

ケイダッシュの川村龍夫会長が亡くなった。ここ数年、パーティーなどで会うことが多く、先月の横綱豊昇龍の昇進披露パーティーでも元気だったので、突然の訃報にびっくりしている。

初めて会ったのは、1990年の紅白歌合戦の時だった。銀髪に鋭い眼光、部下を数人従えてNHKホールの廊下をグイグイ歩く姿に、先輩記者に「あの人は誰ですか」と聞くと「なに、お前はあの方を知らないのか。あの方こそ、田辺エージェンシーとバーニングの副社長の川村龍夫さんだ」と教えられた。

川村会長がブルー・コメッツのマネジャー時代からかわいがり、田辺エージェンシーへも行動を共にした弟分のMさんという方が独立して、マネジメントしたサラリーマンユニットのシャインズを取材したことから縁ができた。芸能担当の前にアントニオ猪木参議院議員番記者をしていた時にも、支援者として見知ってはいたのだが。そして、93年にケイダッシュを設立して“自身の城”を建て大きくしてきた。

若い時は誰かを介してと言うことが多かったのだが、ここ2、3年は歌手小林幸子(71)や豊昇龍のパーティーで居合わせて、直接話す機会が多かった。昨年2月のザ・プリンスパークタワー東京で豊昇龍の大関昇進披露パーティーが開かれた時だった。川村会長は来賓としてあいさつをしたのだが、その前に芸能関係者用の広い控室でさまざまな芸能人、芸能関係者からあいさつを受けていた。しばらくするとエアポケットに入ったように記者と2人きりになってしまった。

2ショットになって緊張したのだが、川村会長は疲れ切っていた。「年を取るとあいさつだ、なんだと引っ張り回されることが多いんだ」と苦笑していた。Mさんの話題になり、若き日の思い出、トラブル解決に乗り出したことを笑いながら話してくれた。そして日刊スポーツの芸能インタビュー面「日曜日のヒーロー」で、堺正章さんや渡辺謙さんのインタビューをした時の記事のことも覚えていてくれた。とかく芸能界は記事の大きさだけを気にする人が多いが、しっかり記事を読んでいるのに驚くと、「当たり前だろう、読んでないと文句も言えないだろう」と笑っていた。

そして、昨年の6月16日に小林幸子の「芸能生活60周年記念祝賀会」がオークラ東京で開かれた時に会った。その日は私自身の父親が昼過ぎに亡くなったのだが、関係者100人だけという集まりだったので駆け付けた。その日付の「日曜日のヒーロー」での高橋克典をインタビューしていたのだが「ありがとう。克典は品がいいから、還暦過ぎてもっと味が出てきていい役者になるからよろしく」と声をかけてくれた。その言葉に悲しみが薄れた。

最後に会ったのは先月22日のザ・プリンスパークタワー東京の横綱豊昇龍昇進披露パーティー。芸能界代表として壇上で鏡開きに参加した。座っているテーブルに行ってあいさつしたのだが、いつも通りちょっと手を挙げて応えてくれた。

川村会長は芸能界のトラブルバスターだった。みんなに頼りにされていた。最近は謹慎中のタレントと会食して相談に乗り、復帰の道筋を練っていた。数多くのスターを育てた川村会長だが、多くの後継者も育てていた。優秀なマネジャーが、すでにたくさんのスターを生み出している。表で輝く人も、裏で汗をかく人も、立派にその思いを受け継いでいる。

ありがとうございました。安らかにお眠りください。【小谷野俊哉】

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