
演歌歌手坂本冬美(58)が5日放送のMBSテレビ「痛快!明石家電視台」(土曜午後3時=関西ローカル)に出演。デビュー曲についての一言で、師匠である作曲家の猪俣公章さんに激怒されたことを振り返った。
坂本は高校卒業後、和歌山県内で会社員として勤務しながら歌手を目指し、勝ち抜き形式の音楽番組で優勝したことを機に、猪俣さんの勧めで上京。猪俣さんの内弟子となった。
坂本は1987年(昭62)、「あばれ太鼓」でデビュー。しかし曲を渡されると、坂本は猪俣さんに「この曲は流行らない」と言い放ったとか。
明石家さんま(70)に「よう断りましたね?」と驚かれると、「私、8曲候補曲をいただいていたんです。8曲書いていただいた中で、石川さゆりさんが歌ってもよさそうな、いい歌があったんです。『うわぁ、この曲を歌いたい』ってひそかに思っていたんです」と振り返った。
「あばれ太鼓」については「その当時…39年前の、さらに30年前にはやった村田英雄先生の『無法松の一生』っていう歌がテーマなんです。最初の歌詞が『どうせ死ぬときゃ 裸じゃないか』なんです。19歳の女の子が『どうせ死ぬときゃ裸じゃないか』って…。今なら分かりますよ? 今は分かるんですけど、(当時は)本当にはやらんと思ったんです」と苦笑い。
「こんなにいっぱい、いい曲があるのに、なんでこの歌? と思って。デビュー曲って一生ついて回りますんで。これはもう、気持ちだけ言うとかなあかんなと思って。ちょっと言葉のチョイスを間違ったんですよね」
坂本は振り返り、続けた。
「でも思い切って『先生、いいでしょうか。この曲、たぶんはやらないと思います』って(言ったら)、『バカヤロー! 新人がはやるとか、はやらないとか、100年早い!』って」と猪俣さんが激怒。「それで終わりました。それっきり、何もよう言わんかったですし…」と語った。
しかし坂本の予想に反して、「あばれ太鼓」は80万枚を超えるヒットを記録。数々の新人賞を受賞し、ブレークのきっかけとなった。